磐之媛

(読書)
いわのひめ

『日本書紀』では磐之媛命。『古事記』では石之日売命。『続日本紀』では伊波乃比売命。他、同音異字表記多数。
仁徳天皇の皇后。生年不詳〜仁徳35年6月*1
父は葛城襲津彦。子に履中天皇、反正天皇、允恭天皇がいる。
『続紀』によれば聖武天皇は光明子を立后した際に磐之媛の先例を挙げたとされる*2

記紀による記述

嫉妬深かったと書かれ、女性関係の事件が多い。この夫天皇の御陵と比定されているのが日本最大規模を誇る大仙陵古墳である*3。。。
『記』神代の大国主神の后・スセリビメに関する話にも似たようなものがある。

『日本書紀』

  • 仁徳2年3月8日 立后
  • 仁徳7年8月9日 皇后のために葛城部が定められる
  • 仁徳16年7月1日 天皇曰く「皇后が嫉妬深く玖賀媛(女官)を召せない」
  • 仁徳22年1月 天皇が八田皇女を妃に入れたいと言うが皇后に言いこめられる
  • 仁徳32年9月11日 皇后不在時に天皇が八田皇女を召すが、皇后の耳に入り激昂
    • 皇后は最期まで天皇を許さなかったが、天皇はなお恋しのんでいたという
  • 仁徳35年6月 崩御

『古事記』

  1. 石之日売を大后と称す
  2. 大后のために葛城部が定められる
  3. 天皇が吉備の黒日売を召したことが大后の耳に入り激昂、天皇は逃げ帰り黒日売は追い払われる
  4. 天皇が八田若郎女を召したことが大后の耳に入り激昂
  5. 天皇が「大后が嫉妬深く八田若郎女と思うようにいかない」として女鳥王と結婚するが、女鳥王には他に想う者がおり別れる
  6. 女鳥王は天皇の命を受けた官軍に殺害されるが、その遺品を持ち帰った山部大楯が大后によって死刑にされる

*1:記紀の記述をリニアな紀年法と取れば4世紀〜5世紀あたり。

*2:当時は皇女が立后することが慣例となっており、藤原氏である光明子の立后は異例のことであった。

*3:宮内庁の指定が正しければ。

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