別れるとき、妓王は、居間の障子に一首の歌をかきつけた。 もえ出るもかるるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわではつべき 今は得意絶頂の仏さま、 貴女《あなた》だっていつ何時、 私みたいなことにはなりかねないかも知れませんよ。 それは、妓王の精一杯の無言の抗議だったのである。 妓王が西八条からはなれたことはたちまち、京都中に知れ渡った。 毎月欠かさず母の許に送られてきた、手当金もぱったり途絶えた。 そして今は仏御前の親類縁者たちが、 莫大《ばくだい》な仕送りで生活しているという噂がひろがっていた。 清盛の寵姫であったあいだは、 高嶺《たかね》の花よと諦めていた妓王が、 一度び市井《しせい》の人間にな…