仏教でも算命学でも、仏や神はすべての中に備わっていると考えられています。「いろいろな名を持っている」という言い方がわかりやすいですね。人間世界で、姿かたちを変えて仏が「ある」わけです。ただ算命学の神は、仏像にできるような形ある神ではありません。神とは宇宙の原理、自然の法則です。 「それを知ることが生きること」とあっさり定義したくなりますが、「知ること」「知りたい」「しるために」とそこに人の「~のために」が入ってくると、主体と客体が分かれて、それはもはや分別の世界です。 だから「只管打坐」であり、算命学的には「現実を生きる」ってことです。現実を生きるのですが、前回観たように有限の世界を生きている…