宝永5年4月6日。広小路神明の祢宜鈴木土佐が勧められて隠居する。日頃から不行跡で淫乱であった。吉見氏からの廻状、触などを永らく留め置いて他へ廻さなかった。その他にも吉見氏の申しつけに背くことなどもあった。先ごろ那須心庵が高須へやって来ていたのを、摂州侯(松平義行)から本家に憚られるので高須には留まらないようにと。ただし五三日(数日)の逗留は世継ぎもいることなので苦しからずと云々。子の変事が起こる前のこと。このため動揺して、京へ向かおうとしたが今日が大火にあったので、大垣へまず向かうと云々。近頃、中川三紀右衛門のところへ夜中に庄蔵の使いがあった。急に話したいことができたので、急いで来てほしいと言…