高島宮での準備が整い、『日本書紀』によると、いよいよ戊午の年春2月11日に高島宮を出発して、難波から河内へ進軍しました。 その途中、速吸門(はやすいのと)で椎根津彦(しいねつひこ)に出会って水先案内をさせたことが『古事記』に書かれています。こちらは明石海峡のことかといわれています。『日本書紀』では豊予海峡(ほうよかいきょう)の話になっていて、なんともいえないのですが、どちらかといえば『古事記』の話の方が正しいのではないかと思えます。 それは「国造本紀」に「日向より発たし、倭国に赴向きまして、東を征ちたまふ時に、大倭国に漁夫を見そなはし、…」とあり、ここに「大倭国」があります。神武東征時代に大倭…