以下はちょっと信じ難いような話だが。―― 清朝末期、全国二十三ヶ所に設置された税関は、途方もない運営方針に打って出た。支那人の雇用拒否である。 自国の行政機構から自国民を叩き出し、態々高いカネを払って西洋人を招聘し、業務を遂行させていた。 これほどわけのわからぬ判断もない。流石は「矛盾」の古諺を生んだ土地だと、変に感心したくなる。 (Wikipediaより、神戸税関 本関) 後年「扶清滅洋」――排外主義をスローガンの一つに掲げた義和団が大盛況を呈したことから察せる通り、異人に対する支那の国民感情は、このころ決して良くはない。そりゃあそうだ、アヘン戦争に負け、アロー戦争に負け、そのたび国土は火に…