詩人。佐藤紅緑宅に食客として滞在し、サトウハチローと共同生活をしたことでも知られる。(佐藤愛子の長編「血族」参照)
明治22年に青森県弘前市に生まれる。明治36年に青森で中学に入学したが、2年後に教師と衝突して退学、東京に移り国民英学会に学んだ。明治41年に国民英学会を卒業。
その頃に俳人としての千家元麿や三富朽葉(詩人)と交遊を深め、自らも詩作の道に入る。
32歳を過ぎて詩作から離れ、詩評、詩歌論の発表が多くなった。後年は、家族を放置して世捨て人のように日本各地を放浪し、独自の郷土論を著した。
昭和21年、千葉県で没する。享年58。