福岡市に本拠地を置くプロ野球チーム。 福岡ソフトバンクホークスの前身。
一軍はパ・リーグに所属。
ホームスタジアムは平和台野球場(1989-1992)→福岡ドーム(1993-2004)。
福岡を中心とした地域密着により人気チームとして根付く。
チームカラーはオレンジと濃い黄緑。
球団歌は「ダイヤモンドの鷹」、応援歌は「いざゆけ若鷹軍団」。
以前は低迷しており、1997年まで南海時代から20年連続でBクラスであった。
リーグ優勝3回(1999,2000,2003)。日本一2回(1999,2003)。
レギュラーシーズン1位1回(2004)。
沿革
- 1989年2月、南海ホークスの身売りによりチームが福岡市に移転し、「福岡ダイエーホークス」が誕生。
- 1990年、田淵幸一が監督に就任。球団ワースト記録の85敗を記録、対策が市議会で議題に上がる。
- 1992年、球団創設初の首位に踊り出るも4位。平和台野球場のフランチャイズに幕を閉じる。
- 1993年、日本最大の球場で唯一の開閉式屋根を持つ、福岡ドームが完成。根本陸夫が監督に就任。
- 同年11月、「世紀のトレード」。
- 1994年、初めて優勝争いに加わり、4位であったもののシーズン勝ち越しを決めた。
- 1995年、王貞治が監督に就任。補強策などで優勝を狙うも怪我に泣く。
- 1996年、開幕より低迷、「生卵事件」や応援団ボイコットなどでダントツの最下位に沈む。
- 1998年、終盤の優勝争いで同率3位となり、20年連続Bクラスを脱出。
- 1999年、南海時代から36年ぶり、福岡の球団として26年ぶり、福岡ダイエーとしては初のリーグ優勝、日本一に輝く。
- 2000年、パ・リーグ連覇を果たす。
- 2003年、ダイハード打線・100打点カルテットで3度目のリーグ優勝・2度目の日本一。
- 同年、最大のライバルで21年連続で負け越していた西武ライオンズに勝ち越しを決め、完全優勝を果たす。
- 2004年、ペナントレース1位もプレーオフで敗退。
- 同年、ダイエーが産業再生機構入りしたため、ソフトバンクグループへ身売り。「福岡ソフトバンクホークス」となる。
過去の成績
- 1989年 4位
- 1990年 6位
- 1991年 5位
- 1992年 4位
- 1993年 6位
- 1994年 4位
- 1995年 5位
- 1996年 6位
- 1997年 4位
- 1998年 3位
- 1999年 1位(日本一)
- 2000年 1位
- 2001年 2位
- 2002年 2位
- 2003年 1位(日本一)
- 2004年 2位(レギュラーシーズン1位)
永久欠番
- 正式な永久欠番は存在しないが、15番(藤井将雄)が準永久欠番扱いである。
関連キーワード
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