(福田恆存)劇作家・評論家(1912-1994)。 東京大学卒業。第二次世界大戦の後、日本の近代または知識人のあり方などを鋭く批判する評論活動で知られ、『人間・この劇的なるもの』など多くの著作がある。『キティ颱風』などの戯曲のほか演出家としても活躍し、なかでも『シェイクスピア全集』の現代語訳は特記される。
生きる喜びとは、
ハムレット (新潮文庫) 作者:ウィリアム シェイクスピア 新潮社 Amazon 生か死か、それが疑問だ。 この超有名なセリフは日本語訳は約50パターンほど存在するそうな。初演は1601年頃らしい。関ヶ原やん。 やっぱり物語として面白い。主人公に大義名分があって仇討ちするんだから。 「悪魔は自由自在に、かならず人の好む姿を借りて現れるという。」魔が差すってこういうこと。 でも全体的に翻訳が肌に合わなかった。ポローニアスが貴族なのに場末のおっさんみたいだったし、笑うところじゃないのに笑えるセリフになっちゃってるし。 新潮文庫のシェイクスピアシリーズはカバーがかっこいいから惜しいけど*1、他の翻訳…
【戦争について (2)】 最近、日本は素晴らしいって(あちこちで)言われてて、そうかな? 他の国が素晴らしいのと同じ程度に、日本も素晴らしいかもしれないけど。きょうも電車に乗っていたら、日本人の味覚は高度だってポスターがあって、それは日本人が好む味に関しては「高度」かも判りませんが。 オリンピックに関しても、他国に比べて日本の借金は膨大で世界一くらいなのに、何であんなスタジアムを派手につくって(一同笑)ほんとにどうかしてる。この数年、どうかしてる度合いが強くなっている。
またブログを更新するのが遅れてしまった。 最近は、あまり本も読めていないし、 本から内容を得て、何かを書くこともできない。 ここまでインプットが少ないのも珍しいものだけれど、 論文の内容を書くわけにもいかないし、 どうしたものか、と悩みながら書いている。 とりあえず、四月だから、四月に思うことを少し書いてみようと思う。 皆さんは、花見に行っただろうか? 僕は花見が大好きだ。 毎年、この季節になると、どうしてもウキウキしてしまう。 コロナ期でも欠かさずに花見をしていたし、 友達を誘って、散歩をしながら花見をするのはすごく心地いい。 冬の寒さが和らいで、緊張から解き放たれるようなそんな空気が好きだ…
数研出版は、「日本現代文学選」(川副國基編著)で、昭和三十二年(一九五七年)に日本で最初に教科書に採用した会社である。今回の指導書では「羅生門」の多様な解釈について述べている。 「 洛中という世界 (略)仏像や仏具を打ち砕いて、それを薪として売るという行為も、ふたりの行為と非常によく似ている。(略)「今昔物語集』の元の話では、女の行為は露見し、女は罰せられるが、芥川の「羅生門」では、このような悪事が、見とがめられもせずにまかりとおっていることになる。洛中とは、そのような世界として造型されているのである。(略)これらの売り手たちは、人が近づかないタブーに踏み込み、いかがわしいものを正当なものと偽…
大修館書店は昭和五七年から連続三十年間以上採録している。 「主題」は ある日の暮れ万に荒れ果てた羅生門で雨やみを待つ下人を主人公とし、死体から髪の毛を抜く老婆とのかかおりのなかで、その心理の推移を描きつつ、ひとつの美的な世界を創造しようとする。羅生門という題名に象徴される、自然と人事をつつみこんだ世界そのものを主題と考えたい。人間のエゴイズムの追求というように主題を要約する考え方も多い。(P58) としている。「自然と人事をつつみこんだ世界そのもの」が主題だというならば、世にあるほとんどの作品の主題は同じになってしまうので、納得できない。これは、以前「高等学校国語教育情報事典」(1992年大修…
『高坂正堯と戦後日本』(五百旗頭真/中西寛 編)を読了しました。こちらも長く書棚に眠っていました‥。 本書の中では特に、中西寛先生の「権力政治のアンチノミー~高坂正堯の日本外交論」という論評が、さらにその中でも、高坂正堯と三島由紀夫との関連性についての次の記述が印象に残りました。 『‥‥その高坂と三島が同席したと推定される機会が分かる範囲で少なくとも二度あり、 そのいずれもが象徴的な場所であった。 一度目は、左派の学生運動に反発した右派学生が結成した全日本学生国防会議の結成大会 (1968年6月15日)であった。‥‥ ‥‥二度目は、福田恒存の呼びかけで1968年に田中美知太郎が理事長として発足…
昨年は9月からロングラン上映していた映画「福田村事件」を12月にやっと見に行ったのでそのことを書くつもりだったのですが、どうにもだめそうなので下書きに置いていた本の感想を上げていきます。 大晦日から元日にかけて、『金田一京助と日本語の近代』(安田敏朗著 平凡社新書 2008)を読んだ。第1章「問題のありか」で、アイヌ語に対する金田一の植民地思想的な認識、アイヌに対する偏見と収奪、また啄木の思想的転回を例に思い込みの強さなどを挙げていて、かなりうわっとなる。アイヌの問題については第2章がメインで、3,4章は金田一の言語観と歴史・社会認識を読み解くことで、5,6章の戦後の国語審議会における金田一の…
井上ひさしの戯曲講座『芝居の面白さ、教えます 海外編』(作品社)を読む。以前紹介した『~日本編』の姉妹書。仙台文学館での講演の筆記録。とても面白かった。 取り上げられているのは、シェイクスピアの『ハムレット』、イプセンの『ヘッダ・ガーブレル』、チェーホフ『三人姉妹』、ニール・サイモン『おかしな二人』で、その戯曲と演出、芝居の見方を詳しく解説してくれる。何という贅沢な講演だったことか。 チェーホフの『三人姉妹』とこのシェイクスピアの『ハムレット』、この二つは世界史の奇跡でしょう。 『ハムレット』の有名な台詞’To be, or not to be, that is the question.’に…
福田恒存の訳で『オイディプス王』を二度読んだ。それで思ったことを書く。 『オイディプス王』は数で言えば素数である。つまり分解というものができない。むしろ他のさまざまな合成数をかたどっていく素と言えるべき作品だ。だからこの作品そのものを細かく論じようとしてもあまり意味がない。細切りにして一部分を取り上げて、これにはこういう働きがある、というようなことが言いにくいのである。この作品はまさに「原型」にほかならない。 それでも僕は頑張って分かったことをここに述べていこう。 主人公は雄弁である。彼は序盤で与えられた謎を解こうとみずから前向きな姿勢をとってみせるが、それがすでに悲劇的に皮肉である。劇の筋を…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 本作『お気に召すまま』の種本は、トマス・ロッジ『ロザリンド』(1590)と、作者不詳の物語詩『ギャミリン物語』(1400)が用いられています。両作品に描かれる残虐な死の場面や、淫蕩で不幸な場面などはシェイクスピアによって姿を消され、おかしみや機知に富んだ会話に溢れた作品へと変化されています。シェイクスピア作品のなかで、最も甘美で、最も幸福な物語と言われています。 フレデリック公爵は兄である先代の公爵を策略によって追い出し、地位、名誉、財産の全てを簒奪しました。しかし、先代の娘ロザリンドは、自身の娘シーリアの願いにより、その側へ置くことになりま…
実在の暴君リチャード三世を主人公にした史劇。上演は1594年と推測されているようで(新潮文庫の福田恒存の解説による)、この戯曲の背景にあたるのは薔薇戦争。その中の1484-85年にかけてのできごと。大まかな流れはwikiを参照。 ja.wikipedia.org シェイクスピアはおおよそ100年前のできごとを1594年にフィクションにした。2021年の日本で考えれば、日露戦争かシベリア出兵を背景にした政争劇とでも思えばよいか。とすると、主要な人物は言の葉に残り、残虐なできごとのかずかずは酒場など繰り返し語られるようなヴィヴィッドなものであったに違いない。しかし事件から500年後、戯曲から400…
シェイクスピアの若書きとされている喜劇。成立年は解説を読んでもはっきりしないが(資料不足による)、1593年か1594年とされる。タイトル「The Taming Of The Shrew」を「じゃじゃ馬ならし」としたのは坪内逍遥かなあ。口の悪い若い女性を「じゃじゃ馬」とするのは大日本帝国時代の意識で居心地はよくないが、慣習のために現在の最新訳(ちくま文庫)もこのタイトルがついている。 金持ちバプティスタには、口が悪い姉カタリーナとしとやかな妹ビアンカがいる。父は多額の持参金をつけようといっている。妹に求婚するものがいるが、父はカテリーナが結婚しないうちは妹の結婚も許さない。カテリーナの毒舌に圧…
2023/12/21 ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」(新潮文庫)-1 夏の夜は、普段目に見えない妖精が姿を現し、普段の人間界の秩序が壊されて、一時だけヒエラルキーが逆転する。 1596年の続き アテネの老人イジアスには娘ハーミアがいる。彼女にはライサンダーとデメトリアスの二人が求婚。デメトリアスにはヘレナという恋人がいたが、ハーミアをみて乗り換えた。ライサンダーは昔からのハーミアの恋人で、ハーミアはライサンダーと結婚したい。でも、妖精パックの塗った塗り薬(惚れ薬)のおかげで、ライサンダーはヘレナに惚れる。ヘレナは困惑。デメトリアスはますますハーミアに熱を上げ、ハーミアは別の娘に求婚す…
ローマ史は詳しくないので、史実とつきあわせない。本書の記述だけでまとめる。 戦勝したシーザーが帰還するとき、元老たちは眉をひそめる。此度の勝利によってシーザーの権威はますますあがり、専制の様子を呈してくる。割を食うのは元老たちであり、市民(現代のそれとは異なる)の政治参加は制限されるのだ。そこでまずキャシオスが立つ。そしてシーザーの友人であるブルータスを陰謀に加わるよう説得する。ブルータスは彼らの考えには賛同できなかったが、シーザーの専制を憎むので、暗殺に加わることにする。成功ののち、シーザーを退けた理由を説明するが、そのあと彼らに仲間入りしたアントニーによるブルータス弾劾演説によって空気は一…
シェイクスピアには森が何度もでてきて、思いだすだけでも「夏の夜の夢」「マクベス」などがある。イングランドはシェイクスピアの時代まで(もっと後の産業革命までかも)は深い森におおわれていた。そこが重要なのは、何しろ深くて道がないので容易に行き来できない。なので少人数であれば自給自足が可能であり、世俗権力の支配外であって逃げこめば介入されない。そのうえ、キリスト教に追い出された神々(本書では婚礼の神ハイメン)が住んでいた。恐ろしい場所であるが、なんでも起こりうるユートピア幻想を持てる場所でもあった。 さて、ここに一人の暴君がいる。あまりの癇癪で、彼の気に入らない兄弟や家臣他を憎み、刑罰を与えていた。…
note.com わたしがはっきり福田恒存の名前を意識したのは『ハムレット』の翻訳と、一緒に新潮文庫に収録されていた「シェイクスピア劇の演出」だったので、英文学と演劇のひとというイメージがいちばんつよい。 福田恆存(1912-1994) はいっぽうで、あくまでも舞台上にこだわった。演者の素顔に興味をもたない。というより、人間はつねに何らかの仕方で演戯をしているのであり、素顔などという観念の方に欺瞞があると福田は言うのである。ただしそれは、人間は常に仮面をまとい嘘や虚偽に満ちた仕方で社会生活を送っている、ということではない。それでは仮面の裏に本当の素顔の存在を肯定することになってしまう。〔傍点省…
記名で記事を書いているので名前を出してもいいだろう。朝日新聞の寺沢さんである。今日の朝刊の地方版の特集「名古屋城はだれのもの」を書いている。題は《会場は同調の拍手・・・現場で感じた息苦しさ》。それよりも大きく見出しをが打ってあって《市民討論会 激しい差別発言》と、やはり「差別」が前面に出てくる。全7回の連載だそうな。 https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=1953 楽しみだなぁ(笑)。楽しみだから、まず初回からいろいろと指摘しておこう。 この記者はこう書いている。 《バリアフリーの充実を求めた車いすの男性(70)に対し、ほかの参加者が差別発言を浴び…