秋の午後3時、公園に一人の男がひとり、ふたり、私も入れればさんにん。良く晴れているけれど、とても穏やかだけれど、心のどこかに淋しさがある。写真はある現在だった瞬間を画像に留めて、その場所もそれ以外の世界にも新しい時間が流れて刻刻と「撮ったそこ」は変化していくのに、撮って固定された「さっき」が残るから、それ以外のいろいろな視点からの定義もあるけれど、良く「基本的に過去を向いていて、過去との相性がよい(すなわち懐かしさを呼びやすい)」と、誰かが言うか書くかしていた。その写真の向いている方向と、秋に属する人々の心が向いている方向は似ているかもしれない。まるでもう目の前には荒漠とした荒地がいつまでも続…