日本で初めて作られた暦は、江戸時代も中頃、17世紀後半に渋川春海が編んだ、貞享暦だとされる。この改暦は数年前、映画にもなった。13世紀の中国、元朝で編纂された授時暦を参考にしたとされるが、実は状況はもうちょっと込み入っている。 どういうことかというと、授時暦の系統の暦が、当時東アジアに二つ生まれていたのである。一つは明の正式な暦である大統暦。もう一つは朝鮮の七政算内篇で、李朝の絶頂期の世宗のころに編まれた。さらに、授時暦もすぐに改訂版が出ている。 渋川春海や、独立に改暦を目指していた算聖・関孝和は、こららのうちのどれを参考にしたのだろう? 朝鮮ルートが無視できない理由は、当時、朝鮮通信使を通じ…