終戦直後の8月22日、樺太(サハリン)からの緊急引き揚げ船3隻(小笠原丸=1403㌧、二号新興丸=2500㌧、泰東丸=880㌧)が、留萌管内沖でソ連軍の潜水艦から魚雷攻撃を受け、民間人1700人以上(死亡=1558人、行方不明=150人)が犠牲となった「三船遭(殉)難事件」が起きた。その後、ソ連はこの惨劇事件を認めないので、日本の研究者が長年調査してきたところ、1991年にソ連が崩壊したことを契機にロシア側と接触した。その結果、翌92年にロシア側の軍事日誌などでソ連軍の犯行が判明したが、その研究者たちの中心人物が現代史家・秦郁彦(昭和7年生まれ)であった。その秦先生が、月刊誌「Voice(ボイ…