高篠山の中腹に建つ真福寺。元々は秩父札所は33番までで、真福寺が16世紀初頭に加わり、秩父札所34番になったそうだ。元々の寺の起源は 大棚山中の鬼丸窟に修験層が安置した聖観音を、鬼丸窟が崩壊した後に、現在の寺から南東900mにある大棚古堂に移し、これを真福寺と呼ぶようになったそうである。(秩父札所 清水史郎著) 江戸時代初期に光明寺の末寺となり、真言宗から曹洞宗へ。光明寺が現在の位置に山門、観音堂、本堂などが建つ壮麗な寺院に真福寺を復興させたそうだ。しかし、1860年の火災でほとんどが消失。明治になって観音堂だけが再建された。 現在は無人のひっそりとした寺で、往時の面影はないが、観音堂の窓の格…