戦国時代、美濃の国を治めていた大名、斎藤道三の居城があった城下町。 のちに織田信長によって占領されたところで現在の地名の元となった「岐阜」に改められた。 山としての稲葉山は、現在、金華山(きんかざん)と呼ばれている。
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おはようございます♪ 今日は昼過ぎまで晴れ、最高気温は17℃とか、暖かくなりそうです。 写真は、稲葉山からの夜明け。11日の撮影です。 ここは霧が出ると美しいのですが、この日は風もあったためか、出ていませんでしたね。 稲葉山からの夜明け 5時40分過ぎ、山ががうっすら見えてきました。 左の建物は、稲葉山牧野管理事務所で、中央下にアウトレットパークの観覧車が見えます。 7時前。稜線がはっきりしています。 日の出は7時16分でした。てっぺんにあるのは、神戸の異人館の風見鶏と笛吹き少年のイメージだそうです。 ゆっくり登ってきます。 風車と月 西の空です。 白山の夜明け 南の方向です。 ちなみに、白山…
5月中旬、小矢部市の稲葉山にやってきました。 久しぶりの稲葉山。たぶん5年以上ぶり。すぐ近くのアウトレットには季節毎に来てるというのに。 電線が写らないようになんとか頑張って撮った景色。砺波平野が見渡せます。 メルギューくんとメルモモちゃんは相変わらず仲良く手をつないでました。そして、あるお子さんの「メルモモちゃんの耳に火がついてるー!」というセリフに思わず吹き出しました。 …火がついてるのはツノなんだよ。耳はその横にあるんだよ。と心の中でつぶやいてました。 今回稲葉山に来た目的は…土日祝のみ営業の稲葉山カフェレストランの人気メニュー・ハンバーグ定食。 稲葉メルヘン牛を使った手捏ねハンバーグは…
こんな展望案内画像がありました。 画面右側の山の頂上に城が見えます。 稲葉山の岐阜城です。 岐阜城の向こう側には長良川が流れています。 martintan.hatenablog.com 更にカメラを右に振っていきます。 遠く、画面中央に白く見えるのが「乗鞍岳」 その右に見えるのが「御嶽山」です。 「乗鞍岳」です。 「御嶽山」です。 3月2日(木) 偉大なジャズサックス奏者 #ウェイン・ショーターさんが亡くなりました。 享年89歳。 「#ビッチェズ・ブリュー」に代表されるマイルス・デイビスのコンボやジョー・ザビヌルと共に率いた「#ウェザー・リポート」での活躍は、ジャズの範疇を超えて音楽の世界に大…
// 前回の続きです。 今回の記事で紹介する城や神社仏閣は全て、岐阜駅から徒歩や路線バス1本で簡単にアクセスできる場所にある。 道中には割と古そうな民家や商店なども多く残っているので、適当にきょろきょろしながら歩いてみるのも楽しく、おすすめ。 参考サイト・書籍: 岐阜市漫遊(岐阜観光コンベンション協会) 仏像のひみつ(著・山本勉 / 朝日出版社) 金華山・岐阜城 ロープウェイより 確かにこの旅行中は世間の三連休だったとはいえ、金華山の麓とロープウェイの混雑ぶりには辟易した。季節にそぐわない強すぎる日差しも、泣きっ面に容赦なくけしかけられた蜂のごとく私達を苦しめる。 列に並びながら、一体どこから…
みなさん、こんにちは! 富山在住のフォトグラファー・イナガキヤスト(@inagakiyasuto)です。「富山の本気」をテーマに地元の風景を撮影しています。 地元を本格的に撮るようになったのは、2020年の春。新型コロナの影響で外出が制限されていたときに「写真で楽しんでいただこう」と過去に撮影した富山の風景写真をSNSにアップしたところ、想像を超える反響がありました。そこから自分自身、改めて地元の魅力について考えるようになったのです。 今回は、そんな私の地元・富山県のオススメ撮影スポットを紹介します。 立山連峰を望む撮影スポット8選 【新湊大橋】巨大建造物と立山連峰のコラボ 【雨晴海岸】立山の…
日本・中国・西洋などを舞台にした「歴史漫画」が数多く存在をしている。 歴史上の有名人物や事件などを題材にしたりとした歴史の漫画となっている。
岐阜県 岐阜城 岐阜県岐阜市にある岐阜城は、国指定史跡(平成23年2月指定)日本の100名城39岐阜城(財団法人日本城郭協会2006年)にも指定されています。 1201年、鎌倉時代に二階堂行政が井口の山(金華山・稲葉山)に砦を築いたのがはじまりとされ、戦国時代には斎藤道三公の居城でした。 1567年、稲葉山城の戦いにより「英傑織田信長公」が斎藤龍興から奪取、山頂にある城や麓にある町などを「井の口」から「岐阜」と改名し天下統一の本拠地としたことで有名なお城です。 金華山には山頂までのロープウェーがあります。徒歩ルートは10の登山道が整備されていて30分から1時間で到達できます。 正門 若き日の織…
十三夜 同年同月同日 昼を過ぎ、貸し切り状態の緒上荘にいずれも徒歩で孫右衛門と長政が姿を見せた。遅れて久政がちょっと立ち寄った風情でこちらも徒歩で顔を出した。 いずれも供はわずかだった。そして 夕刻前に仕事を済ませた市之介がお徳を連れ仲良く到着した。 浅井の首脳が集まった名分はお市の方の安産を十三夜の月に祈る為だった。 一同月見用に屋根を取り外した幅広の屋形船に乗りこんだ しなやかに操るお菊の艪さばきに一同感心しながら沖に出ると、湖上でゆれながら輝く月の美しさはすさまじいばかりだった。 こぎ手として艫の隅っこにかしこまり揺れる湖面をずうっと見ていて気持ちが悪くなっていた吾助が、「料理を出したい…
こんばんは♪ 晴れの予報でしたが、雲も多かったですね。 写真は、南砺市井波にある閑乗寺公園。 キャンプ場などが整備されていますが、冬は閑散としていました。 冬の閑乗寺公園 散居村展望広場から。 散居村が一望できます。 正面は稲葉山。風車もあります。 雪だるまを作ってみましたが、パーツが少なくて変顔です(笑)。
最近のイベ絶は易化傾向にあるので、他の動画殿とレギュレーションを合わせようとして★4汎用武器&施設なしで始めたりしているのだが…… 同じ土俵で戦うにはレベルが低すぎる。おとなしく★5武器と施設ガン積みで行きましょう。
はじめに:積みキットを崩そう。 無線系の自作をしてるとどうしても、「作らないまま持ってしまってる部品キット」=積みキットが増える。 いずれ作ろうと思っていたのだが、ネット界隈で盛り上がっているタイミングを逃して、「あ」となっているのである。 BitXというシングルバンドトランシーバーがある。 徹底して回路の送受共用やシンプルな切り替えを行うことで、おそろしく少ない部品数で「シングルバンドSSBトランシーバー」を実現した回路である。ベースの設計はAshhar Farhan氏(VU2ESE)。 現在の公式はこちら:HF SIGNALS – The Home of BITX transceivers…
姫屋敷① 永禄十年(1567)秋八月二十三日。 予定よりちょっと遅れて無事女子を出産した。 その三日後、 稲葉山攻撃の応援に市之介と共に一千の兵を連れ出陣していた長政が夕刻帰ってきた。 清めの塩で迎えたお菊のうりざね顔がやや丸っこくなっている。 「おんなだったか、しかし母子とも元気とのこと何よりだ」と言う長政に 「かわいい赤ちゃんです。わたしも欲しくなりました」 とお菊が冗談ぽく言ったらぎょっとした長政。 「いけません?冗談です」 と繕ったが出来たら絶対産むと決めているお菊が言った。 「お見舞いに直ぐ行かれたほうが、赤ちゃんも見たいでしょうし」 「からだを流す、汗とほこりを。それから会いに行こ…
映画『レジェンド&バタフライ』では、斎藤道三(演:北大路欣也)が、あっけなく、濃姫(綾瀬はるか)の兄に討たれてしまうので、敗因を3つまで紹介しましょう。
聖徳寺① 永禄十一年(1568)秋八月。 尾張の北西木曽川の支流領内川沿い富田に寺内町が広がり、橋で結んだ対岸に伽藍と塔頭が立ち並ぶ広大な真宗聖徳寺。 その聖徳寺の南の外れ、石垣で囲まれた二棟の建物。 その二棟の建物を隔てる渡り廊下の下を流れる疏水に秋の気配が漂う。 その一棟に住まいする帰蝶の居間。 いつもは漆黒の闇に覆われているが今日は縁に面した通風用の二箇所の小さな地窓の板戸を開け放し、内側の蔽いも外し月の明かりがほのかに注している 月明かりで浮かび上がった三人の影がゆらゆらと揺れているのをこの頃頻繁に起こる眩暈を覚えながら縁から窺う背筋が身じろいだ山本佐内。 中廊下ですれ違った明院良政の…
長良川① 永禄十一年(1568)秋九月に入ってしばらくしたころ。 三郎信長が京に発つと決心したので川内に行くことにした内藤冶重郎が頭の中に持ち帰った川内の図を信長に渡したのは万一のことを思ったからだった。 艪を漕ぎながら輪中と島を巡り、その日のうちに憶えた水路を整理して下図に描き、それを凝視して網膜に焼きつかせ、しまって置いた脳裏の整理棚から順番に取り出し再び描いた要所要所の図面数十枚。お小夜が示したのは処分し忘れた下図の一枚だった。 稲葉山城を見上げる長良川の堤。 虫の知らせか城を抜け腰を下ろして陽に温もり、川内のことを思い出している内藤冶重郎の目の前の川岸に主を待つ小船が一艘杭につながれ揺…
川内① 永禄十一年(1568)秋九月二十六日、朝。 源次郎の船で長良川を下る治重郎。 去年、稲葉山で意地を通した若い斉藤龍興に道を開け、川内に落ちるのを信長と見送った長良川は墨俣辺りで木曽川と合流し、川内に掛かる手前で再び分流する。船は木曽川の速い流れから穏やかな佐屋川に入った。 佐屋川に入り右手の立田輪中に沿って暫らく下る。 弾正忠家の交易の拠点でもある賑わう津島を左に見て立田輪中を右に回りこんでほどなく左に出てくる梶島の次の島がお小夜の在所のある森島で、右手に小木江城の櫓が見えたところで艫に立ち、艪捌きは源次郎も感心するほどだが人の世の捌きは後悔ばかりだなと自嘲した冶重郎は小木江砦を思い出…
長良川① 永禄十一年(1568)秋九月中ほど。 三郎信長が京に発つと決心したので川内に行くことにした内藤冶重郎が頭の中に持ち帰った川内の図を信長に渡したのは万一のことを思ったからだった。 艪を漕ぎながら輪中と島を巡り、その日のうちに憶えた水路を整理して下図に描き、それを凝視して網膜に焼きつかせ、しまって置いた脳裏の整理棚から順番に取り出し再び描いた要所要所の図面数十枚。 あのときお小夜が示したのは処分し忘れた下図の一枚だった。 稲葉山城を見上げる長良川の堤。腰を下ろして陽に温もり、源次郎を待っている冶重郎の目の前の川岸に主を待つ小船が一艘杭につながれ揺れている。 墨俣から上ってきた船が着くより…