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竹中半兵衛

(社会)
たけなかはんべえ

竹中重治。もしくは、半兵衛尉重虎。戦国武将。1544年〜1579年6月30日

美濃国人。安藤守就の娘を妻とする。斎藤龍興に仕えているときに主君の居城稲葉山城を少数の仲間とともに奪取。織田信長から美濃半国と引き替えに城を譲るように求められるが断り、稲葉山を龍興に返還して、自らは隠棲した。
その後、人物を見込んだ秀吉に三顧の礼によって迎えられ、軍師として様々な策を巡らし、浅井攻め、中国攻めなどで大活躍した。

ということに(講談の中では)なっているが、これには誇張とか明らかな作り話とかが入っているので真実とは判定しがたい。

十面埋伏の陣

竹中半兵衛が考案したとされる戦法。十面てのは、つまり全周。
全軍を伏兵にして、敵が通過させてからまず背後の兵が登場、これに対応しようとしたところで残りの伏兵が周囲から一斉に登場するというもの。
織田信長の美濃攻めの際に半兵衛が美濃全軍を率いて実施、織田勢に大打撃を与えて退却させたことになっている。

黒田官兵衛

羽柴勢が播磨に入ると、半兵衛は黒田官兵衛と出会う。ある種似たもの同士とも言えなくもない二人は友誼を結ぶことになる。
黒田官兵衛が荒木村重の説得に出かけてうっかり捕虜になった際、信長は官兵衛が村重に味方したと誤認して人質の松寿丸(後の黒田長政)を殺すように命じた。が、半兵衛はこれを匿い、処刑したと嘘の報告を行った。
翌年、村重の反乱が鎮圧され有岡城の牢から官兵衛が解放されて誤解は解消され、松寿丸が生きていたことも分かったが、すでに半兵衛は病死していた。

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