1921年(大正10年)5月12日、三重県宇治山田市吹上町184番地に生まれる。父、竹内善兵衛。母よし(芳子)。映画監督を志すも、1942年(昭和17年)10月1日、三重県久居町の中部第38部隊に入営。1945年(昭和20年)4月9日、比島バギオ北方1052高地にて戦死(23歳)。
入営中手帳に書きとめた「筑波日記」などに、戦時中とはおもえない、ひとりの青年のみずみずしい心情を記した。
【作品】
【著書】
戦死やあわれ (岩波現代文庫)
竹内浩三作品集
竹内浩三楽書き詩集―まんがのよろづや
【竹内浩三の評論】
ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死
恋人の眼やひょんと消ゆるや―戦没の天才詩人・竹内浩三
竹内浩三の詩「夜通し風がふいていた」を読みました。青空文庫で読めます →図書カード:夜通し風がふいていた 底本 『竹内浩三全作品集 日本がみえない』(藤原書店・2001年) 竹内浩三は1921年(大正10年)三重県生まれの詩人です。1940年に日本大学専門部映画学科に学び、1942年中学時代の仲間と「伊勢文学」を創刊しました。日大を卒業後に入営して、1945年フィリピンのルソン島で戦死しました。 入営中に書かれた日記「筑波日記」に残された詩が、遺稿として伊勢文学に発表されました。
竹内浩三の「日本が見えない」を読みました。 青空文庫で読めます。→図書カード:日本が見えない 底本は『竹内浩三全作品集日本がみえない』(2001年藤原書店) 竹内浩三は、1921年(大正10年)生まれの詩人。 日大専門部映画科に在学中、友人たちと同人誌「伊勢文学」を発行。大学を繰り上げ卒業後に軍隊に入り、入営中には布団の中にノートを隠してこっそり日記や詩を書いています。1945年(昭和20年)フィリピンで23歳で戦死しました。