★ナポレオン3世の第二帝政(1852~70)の捉え方は、この30年ほどで大きく変わりました。 ★以前は、ルイ・ナポレオンという「取るに足りない人物」(マルクスの評)が、ナポレオン1世の甥であることを宣伝しながら、階級対立の調停を装って権力を握り(「ボナパって」と言われたものです)皇帝となった、と捉えられてきました。このような捉え方は根強かったのでしょう、現行世界史B教科書の第二帝政の扱いは、ごく簡単なものです。 ★しかし、ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)は「取るに足りない人物」というわけではありませんでした。彼なりの政治理念と社会政策・産業政策を持っていました。それは、七月王政期に出版した『…