1954年(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁のBravo水爆実験に巻き込まれて被爆したマグロ漁船。乗組員の多くが死の灰に直接接触し、急性放射能障害を起こした。
Bravo実験に当たり、米国は危険水域を発表していた。第五福竜丸はこの水域外*1で操業してたが、Bravo水爆が想定値の3倍のTNT火薬15Mt*2もの威力を持っていたため、放射性降下物をかぶることになった。
第五福竜丸は3月14日に焼津に帰港、乗組員は緊急入院したが無線士の久保山愛吉さんが9月に死亡した。第五福竜丸はその後政府に買い取られ、改造、転用された後廃船になった。しかし、保存運動が起き、現在は東京都が博物館に保存している。
米国は死亡した久保山さんを除く22人の乗組員に200万円を見舞金として持参しただけで、自らの責任を最後まで認めなかった。
マーシャル諸島はBravo実験が行われたビキニ環礁をはじめとして、多くの島がアメリカの核実験に使われた。環礁地震は巨大でも、実験場として使われた島の多くが吹き飛んで消滅している。World Windをインストールしているなら、Bravo実験の爪あとは以下で見ることができる
Google Mapはこちら
一連の核実験ではマーシャル諸島の人々およそ200人が被爆し、また、実験を通じて900隻程度の日本籍マグロ漁船が大なり小なり被爆したといわれている。