メランコリーと小説家は切っても切れない関係にある。そう説いたのは文芸評論家の三浦雅士である。メランコリーすなわち憂鬱のことだ。三浦は著書『メランコリーの水脈』で三島由紀夫や筒井康隆などの作家を例にあげ、いかにその作品に鬱が表れているかを説いた。なぜメランコリーに染め上げられているか、三浦はあとがきでさまざまな原因を述べている。一番わかりやすい理由はこうだ。「書くということ自体がメランコリーと密接な関係にあるのではないか」私の解釈では、つよい憂鬱にとらわれたものは、鬱を解消しようとするために書くのではないか。鬱を作品に昇華することで正気を保っているのだ。 メランコリーな駿 小説家である駿もまたメ…