大学は仙台だった。当時に比べ人口は倍以上に増え、大都市になったが当時はこじんまりした「都会」であった。それでも東京に近いせいか、文化面では秋田はくらぶべくもなかった。 よくいろんな人の講演会があった。特に小説家などは、新刊書を出版すると、本屋さんに、首輪をかけられ、各都市を引きずりまわされ、「講演」をさせられた。もちろん自分の書いた本の宣伝のためでもある。いつも文化会館みたいなホールで、入場無料なので聞きにいった。・・・・・・ そんな中で記憶に残っているのは、作家ではなかったけれど、確か、ダイヤモンド。とかいう総合雑誌を出版していた、社長さんの「講話」は忘れられない。彼は「文字盤のない時計」の…