生きることについての罪悪感が強いからゴミ拾いしているのだろうかとも思う、この宿命的な罪悪感は人類共通のもので人間が必要以上に獲物を捕獲しはじめた頃ぐらいから、この罪悪感昇華のために宗教的概念が培われたのだろう、とすれば『汝必要以上に殺すなかれ』を侵害しはじめたのはたぶん人類が肉や穀物を保存しはじめた頃からだろう、その頃から日々の祈りがなされるようになり、農耕が始まってからは生贄を捧げる事態にまで罪悪感は発展していった…ここまで来ると罪悪感は歪んで不自然になる、だが殺すという自覚があって尚余計に殺さなければならないという状況が人類をそうさせたと推察する、殺すというのは侵害するということであって暴…