本名 | : | 丸山臣吾 |
生年月日 | : | 1935年5月15日 |
血液型 | : | A型 |
出身地 | : | 長崎県 |
身長 | : | 161cm |
体重 | : | 52kg |
長崎のカフェや金貸しを営む裕福な家庭に生まれるが、10歳のときに原子爆弾に被爆。
終戦後上京し、国立音楽大学附属高校に通うも中退。中退後は経済的に困窮し、新宿駅の地下でホームレスもしたという。
17歳のとき「丸山明宏」の名で歌手デビュー。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」と専属契約する。銀巴里から人気歌手が引き抜かれ、閑古鳥が鳴いたときには、髪の毛から靴まで全身紫色に染め上げて銀座を歌い歩き、店の広告塔となる。このとき「銀座に紫のお化けが出る」と話題になった。
22歳のとき「メケメケ」でレコードデビュー。マスコミに「神武以来の美少年」と取り上げられて全国的に名が知られるようになる。
その後、苦学を重ね工事現場の監督となった友人をモデルに作った「ヨイトマケの唄」を発表。この歌は、トレードマークであった派手な衣装やメイクを捨て、絣の着物一枚で唄った。それにより今までのファンが離れてしまい、再び苦難の日々となる。それでも自分の信念を曲げずに唄い通し、30歳の時にワイドショーで披露したのをきっかけに広く全国から共感を呼び、レコード発売となった。しかし、歌詞にある「土方(どかた)」という言葉が差別に当たるとされ、放送禁止曲に指定されてしまう。(現在は解除)
その後は、銀巴里で交流を持った三島由紀夫や寺山修司の舞台に参加するようになり、「黒蜥蜴」や「毛皮のマリー」などに主演。現在も、毎年春から夏にかけて、自身がセルフプロデュースする舞台公演を続けている。
また、1970年に放送されたテレビ時代劇『雪之丞変化(原作:三上於菟吉)』では、五社英雄、深作欣二といった巨匠の下で中村雪之丞役を熱演し怪しい魅力で話題となった。
36歳の時に芸名を「美輪明宏」に改名。一時期、原爆の放射能の後遺症で休養を余儀なくされた事もあったが、現在は歌手、俳優、演出家、作家などマルチタレントとして活動している。
彼の手がける作品は、音楽、舞台などを問わず全て「愛」がテーマになっている。
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生きるって簡単 苦悩の娑婆を生き抜く法華経の力―美輪明宏の悩み相談室
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