浄瑠璃節の一。初世竹本義太夫が宇治加賀掾(かがのじよう)など古浄瑠璃各派の芸風や当代流行の各種音曲を取り入れ、新感覚で統一し、1684年の竹本座旗揚げ公演より語り出したもの。のち門人豊竹若太夫が独立して竹本・豊竹二座に分かれた。大いに盛行し、浄瑠璃といえば義太夫節をさすほどに流布した。義太。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
大阪天王寺に人形浄瑠璃の竹本義太夫の誕生の地碑がありました。 (天王寺の歩道上に)大阪に行ったとき谷町筋の通りを天王寺駅方向に歩いていると、堀越神社近くの歩道の上にある街路樹のそばに、石碑がありました。碑には「元祖 竹本義太夫 誕生地」と刻まれていました。 竹本義太夫!! 日本史の教科書で名前は聞いてなんとなく知っているようですが、実は詳しくは知らないので、ちょっと調べてみました。 (竹本義太夫とは) まず大前提として竹本義太夫は本名ではありません。本名は、五郎兵衛と言い、のちに「竹本義太夫」に改名します。「竹本」の竹は興行師の「竹屋庄兵衛」からとり、「義を重んじる」の「義」に、人形浄瑠璃の語…