画像出典:オールアバウト わたしは生まれも育ちも京都の郡部、それはそれは閉ざされた片田舎でした。わたしの子供の頃は戸数50戸は有ったと記憶しています。同級生も野球チームが出来る位に男子はおりましたし、女子も3人位いた。 その中でわたしの家は、貧乏の極みで「赤貧洗うが如し」と言って良かった。人は貧乏人には冷たいものです。いわれのない誹りや噂を誰となくが流し、それに尾ひれを付けて拡散する。人の集まりではそれが公然と冷笑に変る。 わたしは別に被害妄想からそう言っているのではありません。戸数が少ない社会では、常に人の行動が気になるもので、余程暇と思える人物が監視役の様に村人の動向をみております。そして…