勉強会に参加してテキストを読んで勉強会の前と後にレポートを書いて少しずつ赦して委ねるということをやり始めましたが 「赦す」ということがよく分りませんでした。というよりも、分りたくなかった、受け入れたくなかったのだと思います。 分らなかったけど、「今、私がみていることは単なる間違いです」と赦して聖霊に委ねて、赦してくれた私を祝福する。ということをやって来ました。 もしも、怒り、攻撃衝動、何らかの形で表われる愛の欠如といった自分の間違いを正当化するために知覚を用いているなら、私たちは邪悪さ、破壊、悪意、羨望、絶望の世界を見ることだろう。こうしたすべてを赦すことを、私たちは学ばなければならない。それ…