キリスト教会における三位一体の教義において、神の三つの位格(ペルソナ)のひとつとされるもの。pneuma hagionあるいはpneuma hagiones「御霊(みたま)」とも。
ルーアッハ・カドッシュの訳語で、ルーアッハは「風」も意味する。「気息を拝む」のは汎世界的な信仰で、中近東では前にあったらしい「神の気(ルーアッハ)を喉(ネフェシュ 魂の座がここにあるとされたのでネフェシュは「魂」も意味する)へ入れて人となる」という宗教観を、意図的にモーセが捉えなおして、拝まれた後ナザレのイエスがさらに捉え直し、「霊の初穂」とか言う表現で広め、もともとモーゼも後述する現象を見て「ていうかユダヤの民全員の口から御言が出たらよろしかろうなぁ」とか言っていたが、イエス・キリストは「末日に民へ聖霊が下りる」と言い切った。そういう思想がいろいろあってカトリックへ来る。
『旧約聖書』でのルーアッハは、ラビとして折れそうになったモーセに「なんとかしてください」とお願いされた神様が、霊を「ぺぺっと」長老衆へ渡した(ので従業員ABも霊を受け御言を預かって垂れる)とか、使徒エリシャが師匠から「先生の倍の霊の分け前を」と言ってみたところ、試練を課されたのでそれにパスしたらもらえたとか言われる。
異端派では単一の存在として(主としてコーカソイドの男性の形をとる まれに「女性」もある)「天なる父と世界を共に作った」主神の1柱ということになったりする。で、上記のように「空気なんだが」という事情があるので、その風あるいは空気として捉えられる方を「みたま」神のひと柱を「聖霊」と区別する場合がある。
西洋古典絵画では白い鳩に象徴される。
なお、「精霊」はこの意味においては誤字である。