私には後悔していることがあります。 障害当事者としての強みを活かせなかった出来事でした。今から数年前、私の通う教会に聴覚障害を持った人が来ました。 私は若い頃に耳の聞こえない人と一緒に働いたことがあります。 当時は日常的に手話を使って話していたような。 勿論完璧な手話を使っていた訳じゃないです。 ただその人とコミュニケーションをとるには十分だった、そんなレベルだったと思っています。 だから私の教会に手話を使う人が来た。→私が案内しよう。 単純にそう思ったわけです。礼拝中私はその人の隣に座り、今何をしているのか、誰が話しているのか、結構頑張って通訳した。 手話と筆談で頑張った。 だけど、牧師の説…