上野−金沢を走る夜行急行列車。
下り(上野-611M-長岡-601M-金沢)は上野発23:33、大宮着23:59(ヨ)発0:01、金沢着6:35。上り(金沢-602M-長岡-612M-上野)は金沢発22:12、(ヨ)越後湯沢221着37発上野着6:05となっている。長岡で列車の進行方向が変わる。
かつては489系特急型電車の9両編成で、1号車(上野−長岡では上野方先頭車、長岡−金沢では金沢方先頭車)はレディースカー(女性専用車両)であった。
ボンネット車両を使用した最後の列車でもあった。
1946年、戦前からあった東京発金沢行の夜行列車が準急「能登」に昇格したのが「能登」という列車名の初出である。1959年9月22日のダイヤ改正で急行に昇格した。当時の「能登」は現在と違い、東京駅から東海道本線・北陸本線を経由して金沢までの運行だった。1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正で一旦「能登」は消滅したが、1975年3月10日のダイヤ改正で、寝台特急「北陸」の補完を目的に上野発上越線経由金沢行として復活した。上越新幹線開通に伴う1982年11月15日のダイヤ改正で従来の「能登」は消滅したが、同時に従来の信越本線経由の急行「越前」が金沢−福井間を廃止して「能登」と改称する形で「能登」の名称は残った。
1993年3月18日のダイヤ改正で、再び福井まで運転区間が延長された。また、この改正より寝台車を廃して全車特急形電車による座席車とし、寝台特急「北陸」との差別化を図った。
1997年10月1日の北陸新幹線(長野新幹線)開業に伴う信越本線・横川−軽井沢の廃止により、「能登」は再び上越線経由となった。2001年3月3日のダイヤ改正で運転区間が金沢までに短縮され、寝台特急「北陸」と全く同じルートを通ることになった。
2004年10月23日の新潟中越地震の影響で運休となっていたが、2005年2月11日〜3月12日の毎週金土曜日には、臨時急行「能登91・92号」として、ほくほく線経由で運転された。
上越線が全面復旧した2005年3月25日(始発駅基準)から、長岡経由の本来の経路で毎日運転を再開した。
2010年3月13日のダイヤ改正で臨時急行に格下げとなり、使用車両も新潟車両センターの485系6両編成に変更となる。