天文23年(1554年)〜寛永3年8月6日(1626年9月26日) 日本の安土桃山時代から江戸時代にかけて活動した武将。大名。 元々は浅井長政に仕えたがその後、織田家や豊臣家に仕えていた。関ヶ原の戦いでは西軍として参戦していたが、戦前に通款を明らかにしていた為、裏切り者ではなく当初からの味方と見なされ、戦後に徳川家康から所領を安堵された。江戸時代になると、淡路洲本藩主となり、後に伊予大洲藩初代藩主や龍野藩脇坂家初代となった。
去月廿九日注進状*1、四日於柏原*2披見候、廿七日至清水*3着船之由被聞召届候、無由断動*4、切〻*5申越之義感思召候、九鬼*6相談、伊豆地躰*7早舟ニて可見計由、順風相待尤候、少茂越度候てハ不可然候、今日大柿*8江被為成候、猶以追〻可致言上候、猶長束大蔵大輔*9・山中橘内*10可申候也、 三月四日*11 (朱印) 脇坂中務少輔とのへ*12 (四、2980号) (書き下し文) 去る月廿九日注進状、四日柏原において披見候、廿七日清水に至り着船の由聞し召し届けられ候、由断なく動き、切〻申し越すの義感じ思し召し候、九鬼相談じ、伊豆地躰早舟にて見計らうべき由、順風相待ちもっともに候、すこしも越度候ては…
日本国内における戦争でおそらく最も有名な戦い。大河ドラマでも、ましてや戦場にいた人物が主人公のパターンは過去3~4回しかない。否が応でも期待せずにはいられない回だった。時代は進み演出にはCG、AI、VFXを駆使出来る。皆様の感想はどうだっただろうか。 決着は早かったとはいえ、規模や参加武将の複雑な人間関係を考えれば本来到底1話で処理出来るスケールのものではない。そうなるとどこにそして誰に焦点を当てるかが重要になってくる。今回の大河ドラマは以前にも指摘したが演者が多いせいか1人1人の掘り下げが浅い。そうなると唯一託せるのは石田三成しかいない。 まずは戦闘シーン。VFXによる遠近視点が交差する。ド…
洲本城 by:photo-ac 第111回目は、淡路島にある洲本城と参りましょう。 ちなみ当ブログ管理人(筆者・花ちゃんの娘)は淡路島が大好き。 将来は移住したいなと企んでおります。 はい、では洲本城ですね。 洲本城は、淡路島の洲本市にある標高約135mの三熊山(みくまやま)山頂に築かれた、平山城です。 摂州(大阪・兵庫)から、泉州(大阪)、紀州(和歌山)におよぶ大阪湾に、紀淡(きたん)海峡を通って入って来る船舶を監視する位置にあります。 この天守は、昭和4年の天皇の御即位(御大典)を記念して建造されたもの。 昭和の城造りで、栄えある第1号のコンクリート造り模擬天守です。 「日本最古の模擬天守…
◯「危機の中の勇気」 22年前の出来事となりました。他の人のために生命を落とす、それが崇高に思われ、いつも涙を誘うのは、多かれ少なかれ、人はそうして生きてきたからなのでしょう。 <2001年1月、新大久保駅ホームで転落した人を助けようとして命を落とした韓国人留学生イ・スヒョンさん。6年後の同じ日、また転落事故が起き、助けようと線路に飛び込んだ人がいて、今度は助かった。その人は、スヒョンさんの本を読んでいた。 ひとつの勇気は、次の誰かを動かす。サンフランシスコ大地震、関東大震災、ロンドン大空襲、同時多発テロ、東日本大震災。危機の中の勇気の物語。 「映像の世紀バタフライエフェクト」(NHK)1/1…
<史料1> 淡路国三原郡之内壱万弐千四拾五石、津名郡之内弐千九百六拾石、都合壱万五千石、令扶助訖、全可領知者也、 天正十四年 十一月二日(花押) 加藤左馬助とのへ*1 (三、2005号) (書き下し文) 淡路国三原郡のうち一万二千四十五石、津名郡のうち二千九百六十石、都合一万五千石、扶助せしめおわんぬ、まったく領知すべきものなり、 <史料2> (包紙ウハ書) 「 脇坂中務少輔とのへ*2 」 淡路国津名郡のうち三万石、目録別紙*3相副、令扶助訖、全可領知者也、 天正十四年 十一月三日(花押) 脇坂中務少輔とのへ (三、2006号) (書き下し文) 淡路国津名郡のうち三万石、目録別紙*4相副え、扶…
10月24日(木)から、河毛駅コミュニティハウス(滋賀県長浜市)において脇坂氏館の御城印が書籍の特典付録として発売されます。 販売開始日:2024年10月24日(木) 販売価格:1680円(税込)※書籍「ぶらり徳川家康の城跡+忍びめぐり」の付録として 販売場所:河毛駅コミュニティハウス collection.kojodan.jp 河毛駅コミュニティハウスの中谷さんからコメントをいただけたのでご紹介します! 中谷さんからのメッセージ 河毛駅東口の駅構内にコミュニティハウスがあります。電車を利用しなくてもハウスへは入れます、また駅東口には無料駐車場がありますので、車でもお気軽におこし頂けます。河毛…
ランキング参加中国内旅行 「名古屋まつり」は名古屋最大の祭り。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が約600人を従えて行進する郷土英傑行列をはじめ、指定文化財の山車が繰り出すほか、郷土芸能祭やなどの行事が一斉に開催されて見どころ盛りだくさん。2024年はディズニーパレードも登場します。 名古屋まつりの歴史 「名古屋まつり」は昭和30年(1955)に始まりました。名古屋の経済拡大を目指した「商工まつり」としてスタートしましたが、翌年から市民一人ひとりが参加して楽しめる祭りとして実施されるようになりました。今では名古屋の秋を代表する祭りとしてなくてはならないものになています。 祭りではパレードや行列、イベ…
神宮寺の隣には、沼島の氏神である沼島八幡神社がある。 私は、山川出版社の「歴史散歩」シリーズを基にして史跡巡りをしている。「兵庫県の歴史散歩」上巻には、沼島八幡神社は出てこないが、沼島を代表する神社なので、番外編として紹介しておく。 沼島八幡神社 沼島八幡神社は、永享八年(1436年)に梶原景俊の手により創建された。 鳥居を潜ると石段があるが、鳥居から神門までの42段が男坂、神門より上の33段が女坂と呼ばれている。 男坂と神門 女坂 この石段を登れば、拝殿の前に出るが、拝殿の前からは沼島の集落と淡路本島までを目に納めることが出来る。 沼島の町と淡路本島 拝殿は、桁行が長い横長の造りである。八幡…
そりゃ裏切るわ…関ヶ原の戦いで小早川秀秋が寝返った当然の理由、家康の根回し力がエグすぎた | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン ⬆️⬆️⬆️小早川秀秋が寝返ったのは当然の理由、家康の根回し力がエグ すぎた話。 自分を冷遇した秀吉と、領地を回復してくれた家康。秀秋からすれば、これだけひどい仕打ちを受けたのですから、豊臣家を恨む理由こそあれ、家康に敵対する理由はありません。むしろ、家康に対し、恩義を感じていたことでしょう。 つまり“取り込まれていた”と言うわけだ。 俺は『秀秋取り込まれていた説』は賛成だが、そのやり方は、この記事の通りではないと思っている。 (詳しくは『鷹は翔んだか?』を…
皆さんは淡路島に行かれたことありますか? 多くの自然と四季折々の花々に彩られた素敵な島であり、観光地として人気があるんですよ。 今回は【自然の魅力にあふれた島!淡路島のおすすめスポット】についてご紹介します。 のどかな風景とのんびり過ごせる時間が堪能できますので、ぜひ一度観光巡りをされてはいかがでしょうか。 淡路島の魅力について! 季節の花々に囲まれた癒しの空間!【国営明石海峡公園】 アクセス方法 淡路島の歴史が感じられる神秘スポット!【伊弉諾神宮】 アクセス方法 アニメ好きなら一度は訪れたい!【兵庫県立淡路島公園】 アクセス方法 夜景を求めて訪れる方も多い!【淡路SA】 アクセス方法 国生み…
「黒田武士」と「日本号]のおもしろいエピソード② 🎵~さぁ~けはの~め~の~め~の~むぅ~なぁ~ら~ばぁ~🎵 で始まる黒田節のおはなしの続きです。 豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の中でも最強の「福島正則」から見事に、最強の槍「日本号」を呑みとったお話ですが。 主人公のお二人「母里太兵衛」と「福島正則」面白いエピソードと日本一の槍「日本号」の活躍を追ってみたいと思います。 「黒田武士」と「日本号]のおもしろいエピソード② 賤ケ岳の七本槍とは 虎に噛みとられた名槍 嘉穂郡のもう一人の英雄「後藤又兵衛」とは 賤ケ岳の七本槍とは (しずがたけのしちほんやり)と読むそうです。 歴史上で天下分け目の戦いは…
揖保川が南北に流れる龍野は、江戸時代城下町で 揖保川の西側の丘陵の山裾にお城がありました。 この町は素麺とうすくち醤油で知られた所で それに関連した産業が根付いています。 街並みを歩いていくと、お寺が多く、 しかも西国なのに、真宗大谷派の寺院が 多いのに気づきました。 ここの殿様の脇坂氏は、豊臣家の家来で、藩祖は 賤ヶ岳の七本槍で知られる脇坂安治ですが、 江戸時代、江戸幕府の老中の堀田家から養子を迎え 外様大名から譜代大名になり、寺社奉行などを務めましたので その関係で、家中に関東系の家臣が増えたのかなと思いました。
四国南部・土佐の一領主に過ぎなかった長宗我部元親は、1560年代後半からその領域を広げ、かつての天下人・阿波三好家との激戦をも制し、元亀元年(1573年)には讃岐を除く四国のほぼ全域を統一するに至った。 だがここで、畿内にて勢力を伸ばしつつあった尾張の大名・織田信長が台頭。 元親の義父にして新たな臣下となった篠原長房の有する摂津の領地を狙い、元亀三年(1575年)に長宗我部家へ宣戦布告してきたのである。 織田、そしてその同盟国・徳川の精強なる連合軍に対し、元親は西国の雄・毛利と結びこれに対抗。 決戦は摂津・神崎川近辺で繰り広げられ、両軍ともに凄惨なる犠牲を出しながらもこの戦いは長宗我部・毛利連…
医王山正智院泰平寺(たいへいじ)は鹿児島県薩摩川内市大小路町にある。かつての薩摩国の高城郡(たきのこおり)の水引郷(みずひきごう)のうち。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は島津氏を攻める。大軍勢を率いて薩摩国に入り、陣を置いた場所は泰平寺であった。豊臣軍は圧倒的な兵力で島津方を敗走させる。島津義久(しまづよしひさ)は降伏。そして、剃髪して泰平寺におもむいた。豊臣秀吉に面会し、降伏が正式に認められた。 豊臣秀吉が引き連れていた兵は10万以上とも。これほどの大軍勢が駐屯できる場所はそうそうない。泰平寺は大寺院だったことがうかがえる。 明治初めの廃仏毀釈で泰平寺は徹底的に壊され、伽藍跡などは残っ…
真田太平記(七)関ヶ原(新潮文庫) 作者:池波正太郎 新潮社 Amazon せっかくながら、柿は食えぬ。腹を病んでいるゆえ。 勇将島津義弘(66)を怒らせ、頼もしい宇喜田秀家に愛想をつかされた石田三成。なので毛利輝元に総大将をお願い。 あー、気になりすぎて本陣離れちゃったのね。 忍びの者が息を休めるときはこの世との別れのとき。 本多忠正、忠勝の長男。 上田城渡す渡さないの真田昌幸。結局渡すことにするけど、これも徳川秀忠軍を引き留める時間稼ぎ。 「角兵衛は昔から狂ってますよ。」ですね。 滝川三九郎、一益の孫。 鈴木右近、囲碁と昼寝の毎日。 小早川秀秋(19)、大谷吉継の病状が思ったよりひどくて西…
洲本城 洲本城は兵庫県洲本市(淡路島)にあったお城。 三好長慶の弟「安宅冬康」や、豊臣家臣賤ケ岳七本槍の「脇坂安治」などが城主を努めた歴史的にも重要なお城です。 続100名城に選定され、また立派な模擬天守も見られる事から沢山の観光客で賑わっています。 洲本城模擬天守 特に関西では近年人気の観光スポットになっている淡路島。 そこに存在した洲本城には、全国的にも珍しい遺構「登り石垣」が残っています。 さっそく見に行きたいと思います。 登り石垣とは 普通石垣は横向きにズラーっと積まれていますが、登り石垣は竪向きに山を登って行くように積まれた石垣です。(竪石垣とも) 縦状に石垣を積むことで敵の横移動を…
本作は、「著 ケン・セントアンドレ 翻訳:安田均/グループSNE」が権利を有する『トンネルズ&トロールズ完全版』の二次創作作品です。 (C)Group SNE 「トンネルズ&トロールズ完全版」 思いつくのがちょっと遅かったな。 ・第一部「小牧長久手」 信長亡き後、ついに対峙する秀吉と家康。羽柴軍か徳川軍に身を投じ、戦乱の世の終結をめざす。 種族は善のみ、タイプ・性別不問、1~2レベル限定。1d6を1回ふって敵将を決める。 羽柴軍 1羽柴秀吉 2羽柴秀次 3池田恒興 4森長可 5堀秀政 6滝川一益 徳川軍 1徳川家康 2織田信雄 3酒井忠次 4榊原康政 5本多忠勝 6井伊直政 敵将のMRは20+…
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前史として、北条水軍、村上水軍、九鬼水軍にすいて書いてる。豊臣秀吉の全国制覇に従って、脇坂安治、加藤嘉明、藤堂高虎、などが船手組として編成される。慶長文禄の役では、西国の色々な船手集、海賊が動員されたが、統一的な動きをすることはなく、一番手柄を争ったりしていた。
戦国時代末期、松永久秀と熾烈な抗争を続けた筒井順慶は、織田信長、羽柴秀吉と畿内に君臨する天下人に臣従。 筒井氏は天下人の武力と権威を背景として大和の支配を進めたことで、中世以来の興福寺衆徒から近世大名へと転身しました。 一方、中世に筒井氏と大和の覇を競った越智氏、十市氏、古市氏は筒井氏被官として家名の存続を維持するのが精いっぱいという状況に零落し、箸尾氏や宇陀の秋山氏も筒井氏傘下の与力大名とならざるを得ませんでした。 筒井氏に反抗的な国人たちは、服従するか、粛清されるかの二者択一を迫られ、1559(永禄2)年の松永久秀による大和侵攻以来、反筒井の代表的国人であった柳生宗厳は元関白で信長と親しい…