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自由主義

(社会)
じゆうしゅぎ

liberalism /リベラリズム

判断能力のある大人なら、自分の生命・身体・財産に関して、他人に危害を及ぼさない限り、たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、自己決定の権限をもつとする立場。倫理学者の加藤尚武は「自由主義の考え方は、現実に世界でもっとも現実的な倫理基準である」と述べている。

20世紀になって、英米を中心としてリベラリズムのなかでは、個人の自由で独立した選択を実質的に保障するためにはそうした選択や自由を阻害する偏見や社会的、経済的強制を排除するなど公的な権力の介入も必要である、という公正志向の立場が優勢となった。(ニュー・リベラリズム New Liberalism)リベラルというときは通例この立場が意味される。この場合の自由はバーリンのいう積極的自由が中心にあり、リベラルという語の他への寛容というニュアンスも大きな意義をもつ。

他方、古典的な十九世紀以来の伝統的自由主義の場合、自由主義経済や新自由主義(ネオリベラリズム Neo liberalism )というときなどは、国家からの民間、個人の自由を最大限認める立場を指す。この場合には、私人間の関係において社会的な実質的自由度がどうなっているかは公権力の介入すべき問題ではないとされ、政府からの自由が概念の中心にあり、相互に、とくに公権力から干渉されないことがもっとも重視される。(参照:リバタリアニズム)

政治哲学、実践倫理学の分野では、ロールズ、ノージック以降、リバタリアニズムと区別して、複数の善や自由の間を調停する公正さにのっとるため、そのかぎりではリバタリアニズムと比較すれば一定の自由の制限をも容認して社会的公正を志向する立場を指す。

自由主義論の現在
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-1/nakatani.htm

自由主義
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/liberalism.html

自由・自由主義 リベラリズム
http://www.arsvi.com/0e/lib.htm

善に対する正の優越。
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/priority.html

バーリンは積極的自由と消極的自由を区別した。

「積極的自由とは、自己支配(自分で考え、決定し、行為する)としての自由である。これに対して消極的自由とは、干渉や強制を受けずにしたいことができるという意味での自由である。通常、この二つの自由は両立する。す(p.232)なわち、自己支配の能力が行使されているときは、消極的自由を前提とする。しかし問題が生じるのは、次の二つのケースである。第一に、自己支配という場合の「自己」が、個人より高いレベルの集団(国家・種族・民族など)として捉えられる場合、積極的自由の実現は各成員にさまざまな要求をすることから、各人の消極的自由と矛盾する。第二に、自由の定義を「能力的に可能な行為の選択集合」とする場合、これは積極的自由の意味を包接するが、しかし、現時点では知られていない新たな可能性の選択肢を排除する点で、消極的自由の領域を狭く規定してしまう。こうした理由で、自由の真の意味を消極的自由としておくほうが、すぐれた政治作法を提供するとバーリンは主張する。自由主義者にとっての真の問題は、積極的自由と消極的自由との比重考量ではなく、むしろ消極的自由とその条件の問題である。すなわち、自由主義者は、教育問題・都市問題・農業問題など、さまざまな社会問題を、積極的自由と消極的自由の混合比率の問題としてではなく、消極的自由とその社会的条件の確保の問題として考察する。」(橋本務[1994:232-233])

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/8075/jsbp030329.html

関連語:リバタリアニズム 共同体主義

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