◆黒坂ツイート 黒坂真 徳田球一さんは書記長在職時に亡くなりましたから、日本共産党内では尊敬されてきました。しかし没後四十年近く経ってから、徳田・野坂分派という分派の長だったことにされ、今では反党分子扱いされています。変な政党。 徳田についていえば、 1)徳田「暴力革命」路線が否定され、徳田と対立した宮本顕治が執行部入りした「日本共産党第6回全国協議会(6全協)」(1955年) 2)宮本が党首(書記長)に就任(1958年) などで次第次第に共産党は「徳田批判を強めてきた」のであって「日本共産党内では尊敬されてきました。しかし没後四十年近く経ってから」という理解は明らかにおかしい。 まあ、野坂と…