文芸評論家(1909-1974)。 福岡県出身。京都大学文学部中退。
著書は『復興期の精神』『鳥獣戯話』『室町小説集』『近代の超克』『アバンギャルド芸術』『新編映画的思考』『恥部の思想』など。 また、カフカ作品の翻訳を手掛けた。
脚本家の花田十輝は孫。
正確に読み取れていたら、きちんと肚に収まっていたら、もっと賢くなれていたかもしれない。いや賢いか賢くないかには天分の限界もあろうが、せめて少しは役立つ男になれていたかもしれない。 ブルクハルトの名を知ったのは、学生時分の早い時期だったろう。なにせもっともご厄介をおかけし、酒場への鞄持ちを拝命していた恩師が、ラテンおよび初期フランス文学の一途な学者だったから、まだ教授が素面のあいだには、じつに数多くの歴史家や学者文人についての名と書物について、四方山の噺を拝聴できた。 酒が定量を一滴でも超えると、ほぼ日本語が通じなくなる師だった。そうなってからがむしろ師の本領で、行きつけいづこのママさんがたも、…
1993筑摩書房 花田清輝を知ったのは、猪瀬直樹の三島由紀夫伝だ。そこで引用されている仮面についての考察が強く印象に残っている。三島や太宰が常に自分に向けて仮面をつけていたというような内容。 花田清輝の本はほとんどが絶版。今までに読んだどの評論とも違う、不思議な感覚だった。文体か、それとも論旨の持ってゆき方か。 収められている評論はどれも冒頭、読者をかなり引き込む。例えば、冒頭に収められている「女の論理-ダンテ」の書き出しはこうだ。 三十歳になるまで女のほんとうの顔を描き出すことはできない、といったのは、たしかバルザックであり、この言葉はしばしば人びとによって引用され、長い間、うごかしがたい事…
『対抗言論 3』(法政大学出版局、2023) 「反ヘイトのための交差路」と副題された意欲的な論集を送っていただいた。446ページの大冊だ。 四本の特集に分類され、論説や研究報告や対談企画が並ぶ。「1、文学/批評に何ができるか」「2、暴力・宗教・革命をめぐって」「3、男性支配の重力に抗う」「4、フェミニズムと社会批評のいま」。なるほど、同人雑誌四冊分と考えれば、このヴォリュームももっともか。刊行のしかたが、私の知る時代とは変ってきているのだな。 いずれも私ごときが感想を抱けるような特集ではない。そこは考えても無駄と知ってる分野もある。かつて自分流に考えてはみたが、力不足で埒が明かなかった分野もあ…
埴谷雄高(1909-1997)川西政明『評伝埴谷雄高』(河出書房新社、1997)より無断で切取らせていたたきました。 追悼文の名匠はと問われて、即座に思い浮ぶ数名の文人から、この人が漏れることはない。 追悼文の名篇が残るには、まず依頼されねば始まらない。他界されたアノ人に言葉を手向けるとなれば、そりゃあまず埴谷さんだろうと、編集者・出版人がたから思われねばならない。生前の故人と好ましい交流があり、故人の人となりと業績とを正しく評価でき、それらを魅力的に再現できる表現力において、信用されねばならない。 魅力的に再現するとは、故人の生涯の核心部分を、おゝかたの人より深く摑み、しかも表現されてみれば…
プログラムとチケット半券(1966) 木下順二作『オットーと呼ばれる日本人』宇野重吉演出、劇団民藝公演。一九六六年九月の再演だ。新劇史に残る名作名演との噂には接していた。が、初演は一九六二年。私は世代的に、間に合っていない。 いつか再演をとは、劇団の腹づもりにも入っていたそうだが、思いのほか早く再演の機会がやってきた。木下順二の書下ろし新作公演を前宣伝していたのだが、台本がどうしても間に合わない。急遽『オットー』再演に切替えられた。 日夜苦吟に苦吟を重ねても、作者がどうしても幕切れを書けない。なるほど、芝居の世界にはそういうこともあるのかと、高校二年生は初めて知った。作者の遅筆苦吟のおかげで、…
平野謙は、昭和文学の中盤・終盤の局面をリードした批評家の一人だが、ことに中盤(文学史で戦後文学と云われる)においては、同志とともに立上げた雑誌『近代文学』編集の一翼を担ってもいたわけだから、文筆者の肉筆原稿を眼にする機会も多かったことだろう。 その平野謙が、晩年の気楽な随筆のなかで、筆跡について回想している。原稿の文字が達筆だった筆者として、福田恆存と寺田透と、あと誰だったかを挙げていた。記憶が曖昧なのは、福田・寺田のご両名に対して、いかにもさようであろうなぁと、ありあり想像され、あとを忘れてしまったからだ。 学識とバランス。幼きみぎりより聡明にして品行方正。画に描くかの秀才ぶりが、容易に想像…