元朝日新聞社主筆、ジャーナリスト。日本国際交流センターシニア・フェロー。
1948年1月16日、生まれ。2016年4月28日、死去。
父親は鳩山一郎の首席秘書官になる前は朝日新聞記者を務めた若宮小太郎。いわゆる「二世記者」と言える。
1970年に朝日新聞に入社。1975年から政治部。その後、論説委員、政治部長を務める。
1981年9月から1年間、韓国ソウルに留学。
2001年5月にブルッキングス研究所の客員研究員になる。
2002年9月に論説主幹になる。
2005年3月の「竹島を韓国に譲って友情の島にしよう」との提案が、大きな批判を招来する。
2006年12月まで、毎月最終日曜日にコラム「風考計」を連載。
2011年5月1日、朝日新聞主筆に就任。
2013年1月16日、65歳になり朝日新聞社を退社。これにより朝日新聞主筆も退任。その後、日本国際交流センターのシニア・フェローに就任。
2016年4月28日、滞在先の北京市で亡くなっているのを発見された。