これからブッダのことばを引用します。いわゆる不浄観・死随念です。死体が目の前になくても、自分の身体の行末を実感すれば十分です。また、べつに比丘の修行に限ったものではない。 ブッダが弟子たちに説きます。(HP『ターン・プッタタート』ブッダの言葉による四聖諦・完全版「九種類の墓(つまり体)」より引用させていただきます) (1) 比丘が、死体を捨てる墓地に捨ててある、死んで一日経ったのでも、死んで二日経ったのでも、死んで三日経ったのでも、腹が膨れ、醜い緑色をして、膿が気味悪く流れている死骸を見るように、その比丘は「この体もこのような状態があり、当たり前にこのようなことがある。このようなことから逃れら…