秀吉の後継者として関白となった秀次 後から振り返ってみると、豊臣家滅亡の大きな原因となった関白秀次の切腹事件。これは秀吉が後に秀頼の脅威になり得るとみた秀次を無理矢理切腹に追い込んだ事件と見られており、年老いた秀吉の耄碌の1つとされていたが、実はこれは秀吉も想定していなかった事件だったのではというのが今回の内容。 切腹した豊臣秀次 1590年、北条氏を滅ぼしその後に東北を平定した秀吉は天下統一をなす。しかし1591年1月、秀吉55才の時に名補佐役であった弟の秀長が死去。豊臣政権に狂いが生じる第一歩となる。そして8月には秀吉と淀君との間の子(とされていた)鶴松が3才で死去する。これで後継者をなく…