評論家。1913〜1979 福島県生まれ。 1938年東京帝国大学英文科を卒業後、東京新聞の文芸評論委員として、文芸時評等を執筆する。 1946年同人雑誌「近代文学」の創刊に加わる。 代表作に、「第二の青春」、「夏目漱石研究年表」がある。
また、ミステリ、SFにも興味を示し、江戸川乱歩賞の選考委員もつとめた。
まともな論文を掲載するスペースが更に無いのだから、真実を伝えている訳はないのである。2015年10月07日今月号の月刊誌「正論」にも、朝日や毎日を購読し、テレビ朝日やTBSの報道番組だけを観て生きている人たちには、全く分からない真実が満載されている。それでいて料金は780円である。一方、限りある紙面の半分ほどを、スポーツ紙と同様な広告で埋め尽くしている朝日は、それでいながら、料金は月額約5,000円である。 以下はp178~p187に渡る、朝鮮問題研究家、阿部南牛さんの労作からである。 安部南牛氏 昭和14(1939)年、福岡県生まれ。工学院大学卒業。旧通産省工業技術院、化学技術研究所主任研究…
今まで漱石唯一の私小説的作品とありきたりの感想ですませていた『道草』に引き込まれました。『道草』は1915年に書かれましたが、1903年から翌年にかけてのことが書かれています。荒正人著の『漱石研究年表』(集英社/1974年)のその時期をみると、小説に出てくる出来事が実際にあったこととわかりますが、取り上げなかったことも多く、明らかな取捨選択の基準があったように考えられます。主人公健三が取り上げることになった衝撃的な三女の出産は1903年11月3日で、年表にはそのようなことがあったのかは書かれていません。しかし不仲から妻を二度実家に帰らせたことなど、妻に関することは克明に小説に書いているのですか…
380.『道草』へ至る道(4)――寺田寅彦の功績と世紀の誤植 本ブログ草枕篇で堤重久の『太宰治との七年間』という本から長々と引用したことがある。太宰治が教師であったことは1度もないから趣きは少し異なるが、ここで漱石の一番弟子寺田寅彦の古典的な回想録を引用したい。引用元は岩波の漱石全集別巻「漱石言行録」である。 熊本第五高等学校在学中①第二学年の学年試験の終った頃のことである。同県学生のうちで試験をしくじったらしい二三人の為にそれぞれの受持の先生方の私宅を歴訪して所謂「点を貰う」為の運動委員が選ばれた時に、自分も幸か不幸か其一員にされてしまった。其時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親…
377.『道草』へ至る道(1)――『門』から『道草』執筆まで 『門』は漱石が始めて夫婦を主役に据えた小説である。宗助と御米は好き合って一緒になった若い夫婦である。宗助は漱石を彷彿させるが、御米は鏡子と共通点のない、全体として漱石夫婦とは別世界に暮らす夫婦である。そのためというわけでもなかろうが、同じ年漱石は始めてといっていい大病と入院を経験した。 前項で述べた『道草』の主眼点(夫婦のあり方)と執筆動機(大病の繰り返しで残された時間を意識せざるを得ない)を考えると、その2つながらの起点たる明治43年(『門』と修善寺の大患)から、『道草』執筆に至る漱石の道のりを再確認することも、無駄とは言えまい。…
375.『道草』はじめに(1)――道草を食ったのは誰か 本ブログは『三四郎』『それから』『門』の初期(青春)3部作、『彼岸過迄』『行人』『心』の中期3部作のあと、晩期3部作の緒篇、『道草』に入るはずであったが、その前に、『坊っちゃん』『草枕』『野分』の「明治39年怒りの3部作」に寄り道してしまった。 次に進むべき路は『野分』の次回作『虞美人草』かも知れないし、さらに遡って『猫』かも知れないが、『虞美人草』は漱石自身が否定的に捉えている作品であるし、『猫』はただの dilettante に過ぎない論者(筆者自身のこと、以下同断)には余りに荷が重い。 ということで、ここで晴れて『道草』に戻ることに…
1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹…
(本作品の犯人、トリックから動機まで、あらいざらいぶちまけています。) 『本陣殺人事件』については、すでに語り尽くされていて、もはや新たな論点は残されていないように思える。 しかし、その評価は、我が国のミステリ史に新たな時代を切り開いた長編ということで衆目は一致するものの、若干の見解の相違が見られるのも事実のようだ。本書完結直後の昭和20年代、探偵小説作家の多くが傑作と評価する一方で、ミステリ好きの文芸作家は、むしろ『蝶々殺人事件』を支持したということは、よく知られている[i]が、それ以外にも、とくに本書の密室の謎をめぐって、評価は二分されるようである。 すでに、江戸川乱歩が本作の完結直後に発…
359.『野分』すべてがこの中にある(3)――西へ西へと移動する Ⅰ 『野分』にのみあって、他の漱石作品には見られないもの。Ⅱ 『野分』にも他のすべての漱石作品にも、共通してあるもの。Ⅲ 他のすべての漱石作品にあるが、『野分』にだけないもの。(以上再掲) 次にⅡについてはⅢ同様、漱石作品全体を調べて行かねばなるまい。その中から自ずとⅢも浮き彫りになるだろう。Ⅰで取り上げた『野分』各章のトピックスからは一旦離れて、まずベーシックな素材、「旅」について見てみよう。《例題1 東西の大移動・大旅行》 これを含まない漱石の小説はない。漱石は旅行をよくした人で地球の裏側まで行っているが、小説もしかり、例外…
前述した、三省堂の指導書(昭和33〜37)に関して、付け加えることが出てきた。前述の「高校生のレポート」が、手引きの答えとして出典を明らかにしないまま指導書に使われていたのだ。もう少し具体的に言うと 【研究】 1 下人の心理の推移を中心にして段落を切り、その各段ごとに彼の心の状態をはっきりさせよう。(三三年度版p102) 1 局面の展開に従って段落を切り、下人の行動と心理状態を抜き出してみよう。(三五年度改訂版p141) というように、改訂版では表現が若干違うが、 「三 研究の解説」に 「1a 雨やどりをしている所」(p93下10行)から「悪の実行となる。」(p94上18行)まで、abcdの表…
読書の記録57 市で行なっているリサイクルブックでゲットしました。 ◎「石川啄木」 文芸読本 荒正人編 (河出書房新社) ◎「受験必要論」 林修著 (集英社文庫) ◎「娘の味」 阿川佐和子著 (新潮文庫) ◎「幸運を呼ぶ「たましいのサプリメント」スピリチュアル セルフ・ヒーリング」 江原啓之著 (王様文庫) ◎「幸運を引き寄せる スピリチュアル・ブック」 江原啓之著 (王様文庫) 読書もいろいろサイト 読書もいろいろブログ 電気代節約サイト 柔手道整丹術
2023年1月13日、小高伝道書で催された「自由人の集い」で一時間半にわたり講演をしてきました。僕は小高教会幼稚園の卒園生です。講演の内容を、講演原稿を基に再録しました。 自由人の集い ただいまご紹介をいただきました志賀泉と申します。 今日は暖かい夜でなによりでした。お集まりいただきありがとうございます。 よろしくお願いします。 僕は神奈川県の川崎市に住んでいますが、年に数回は小高(南相馬市小高区)に帰ってきます。帰るたび、いい町になったなあ、人は少ないけど、小高をいい町にしようという人の気持ち、元からの住民も、移住してきた人も、いっしょに町を盛り上げようとする気概が、歩いているだけで伝わって…
先般「絶版となったメグレの邦訳書をインターネットで読む」(2022.10.30) https://maigretlecture.blog.fc2.com/blog-entry-1247.html で紹介したように、国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスにより、昭和期に出版されていたメグレ物の邦訳書を自宅のPCで無料で読めるようになりました。 作者のシムノンは、戦前・戦中には「シメノン」と表記された時期もあります。 国立国会図書館デジタルコレクションに収容された電子図書としては下記のリストにある通りで、主として初期メグレ19作の大半が中心です。 ◇初期のメグレ物の絶版邦訳書リスト …
4年に一度のスポーツの祭典で日本中が湧きたっている中、いっさい興味のない私は先だって復刻されたばかりの漫画を読みふけっていた。 それはそれとして、さすがに12月ともなると寒く、古書会館前の吹きっさらしで棒立ちして耐えるだけの体力もないので、マックで時間を潰して9時半すぎに列へ加わる。今日はそういう時節柄もあってか少なめな印象であった。 ①加藤武雄『夜曲』(新潮社)大14年12月3日, 蕗谷虹児装 900円 どうも眼が棚を滑ってしまい、思うように本を掴めなかった。しかし毎度そんなことを嘆いているような気もする。本書は、加藤武雄に興味があるというよりも、この時期の新潮社の本が気になるだけの話である…
344.『野分』主人公は誰か(1)――見分けるコツは「こっち」 さて本題に戻って『野分』の主人公は誰か。 書出しの「白井道也は文学者である。」を見ても、白井道也であるとするのがふつうかも知れない。年齢も先の年表にあるように明治39年で34歳。漱石の40歳に近い。というより明治6年生れで、『草枕』の画工と同い年である。 しかし次の章で中野君と高柳君が登場すると、白井道也は「道也先生」とお客さん扱いになってしまう。漱石の筆はひとまず中野君と高柳君に平等に降臨する。そのうち道也の細君まで主役争いに加わるが、さすがに章を追ううちに、小説としては自然に主人公は白井道也と高柳周作の2人に収斂してゆくようで…
338.『野分』式場益平からの手紙(2)――115年目の本文改訂『野分』篇 「先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。」(『野分』第12章/大正6年12月漱石全集刊行会版漱石全集第2巻――以降20世紀の漱石全集すべて)(再掲) いったいどこからこの「高田」という町は湧いて来たのだろう。高田は石油の町か。中学があって「高」という字が付けばどこでもよかったのか。一体いつ誰がこんな突飛な思いつきをしたのだろうか。まさか漱石自身が生前に指示していたわけではあるまい。「越後の高田」はその後も永く『野分』の本文であり続けた。今でも多くの『野分』の版ではそうなって…