1877-1945 詩人・随筆家。 岡山県浅口郡連島村(現在の倉敷市)出身。後藤宙外、島村抱月に認められて詩壇にデビュー。やがて、島崎藤村につづく詩人と目されるようになる。『暮笛集』『公孫樹下にたちて』『白羊宮』などの作品を発表。 その後、散文に移行。大阪毎日新聞社に入社後、夕刊に連載した「茶話」が人気を博す。それ以降、随筆家として活躍した。
競馬を一躍人気にしたのは五冠馬シンザンであり、そのもとをたどると名馬ヒンドスタンに行き着く。ヒンドスタンといえばアリ・カーンであり、アリ・カーンといえばリタ・ヘイワースである。 それがどうしたといわれてもこまる。ただ万年筆のインクをつないでいるだけである。 かように連想していけば筆はとぎれにくい。そのかわり一貫性はなくなりがちになる。書いてからあとづけでテーマを見つけにいくという順序になるからだ。要するにお題から連想ゲームをしているようなものだが、望ましいやりかたなのか知らない。 わたしは、内在しているテーマというのは、真空管アンプや釣りの仕掛けとおなじで、どうでもいいような細部のつみかさねが…
上本町近辺の町をよく歩いています。 薄田泣菫の歌碑の写真を撮っていると、その陰から子どもが一人出てきました。首を傾げながら、写真を撮る私と歌碑とを交互に見ます。その子にとっては日常の遊び場、これが被写体として特別な対象になるということが不思議なのでしょう。 町には歴史があって、我々もそこに連なるものの一つです。 しかし、「これはなんだろう?」と立ち止まる時、そこには、歴史という普遍的な存在から切り離されて、一人の人間としてものを思う”私”の姿が浮かび上がります。 「これはなんだろう?」
天神さんの古本まつりの100円均一台で、初日に見つけていた薄田泣菫の本。重たくなるし珍しい本ではないので、見送った。しかし、2日目にも残っていたので購入。『艸木蟲魚』(創元社、昭和4年1月)である。他にも泣菫の本はあったが、これにはやや珍しい蔵書印があったので買ってみた。 蔵書印は「太田蔵書」で、陽刻と陰刻の組み合わせの上、書体も変えている。全体の形も、刀のような不思議な形である。「NIJL 蔵書印データベース」に「太田蔵書」印は2種類収録されているが、本印とは異なる。おそらく同一人物によると思われる書き込みもあった。生田春月(昭和5年5月没)が「ハイネの散文の妙趣」は泣菫の散文で味わえると称…