1877-1945 詩人・随筆家。 岡山県浅口郡連島村(現在の倉敷市)出身。後藤宙外、島村抱月に認められて詩壇にデビュー。やがて、島崎藤村につづく詩人と目されるようになる。『暮笛集』『公孫樹下にたちて』『白羊宮』などの作品を発表。 その後、散文に移行。大阪毎日新聞社に入社後、夕刊に連載した「茶話」が人気を博す。それ以降、随筆家として活躍した。
蒲原有明・明治9年(1876年)生~昭和27年(1952年)没 日のおちぼ 日の落穗(おちぼ)、月のしたたり、 殘りたる、誰(たれ)か味ひ、 こぼれたる、誰かひろひし、 かくて世は過ぎてもゆくか。 あなあはれ、日の階段(きざはし)を、 月の宮――にほひの奧を、 かくて將(は)た蹈(ふ)めりといふか、 たはやすく誰か答へむ。 過ぎ去りて、われ人知らぬ 束の間や、そのひまびまは、 光をば闇に刻みて 音もなく滅えてはゆけど、 やしなひのこれやその露、 美稻(うましね)のたねにこそあれ、―― そを棄てて運命(さだめ)の啓示(さとし)、 星領(し)らす鑰(かぎ)を得むとか。 えしれざる刹那(せつな)のゆ…
蒲原有明・明治9年(1876年)生~昭和27年(1952年)没 あだならまし 道なき低き林のながきかげに 君さまよひの歌こそなほ響かめ、―― 歌ふは胸の火高く燃ゆるがため、 迷ふは世の途みち倦みて行くによるか。 星影夜天(やてん)の宿(しゆく)にかがやけども 時劫(じごふ)の激浪(おほなみ)刻む柱見えず、 ましてや靡(しな)へ起き伏す靈の野のべ 沁しみ入るさびしさいかで人傳へむ。 君今いのちのかよひ路(ぢ)馳せゆくとき 夕影(ゆふかげ)たちまち動き涙涸れて、 短かき生(せい)の泉は盡き去るとも、 はたして何をか誇り知りきとなす。 聖なるめぐみにたよるそれならずば 胸の火歌聲(うたごゑ)ともにあ…
蒲原有明・明治9年(1876年)生~昭和27年(1952年)没 牡蠣の殼 牡蠣(かき)の殼(から)なる牡蠣の身の かくもはてなき海にして 獨(ひと)りあやふく限ある そのおもひこそ悲しけれ 身はこれ盲目(めしひ)すべもなく 巖(いはほ)のかげにねむれども ねざむるままにおほうみの 潮(しほ)のみちひをおぼゆめり いかに黎明(あさあけ)あさ汐(じほ)の 色しも清くひたすとて 朽つるのみなる牡蠣の身の あまりにせまき牡蠣の殼 たとへ夕づついと清き 光は浪の穗に照りて 遠野(とほの)が鴿(はと)の面影に 似たりとてはた何ならむ 痛いたましきかなわたづみの ふかきしらべのあやしみに 夜もまた晝もたへか…
2:6:2の法則についてご存知の方は多いでしょう。 働きアリの法則 - Wikipedia (略) よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。 (略) サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。 これは働きアリの研究によるものですが、人間社会にまで広げて解釈している記事が少なくありません。例えば・・・。 組織エンゲージメントを高めるために必要な「2-6-2の法則」 | TUNAG 集団において、全体の2割の人間が意欲的に働き、6割が普通に働き、残りの2割が怠け者になる傾向が高いという法則…
2992日目・文字霊日記 サジを投げる・・・治療法がない・・・ウマで逃亡・・・ ↓↑ コロナ・・・サジを投げてもカネを拾う・・・スっからカン・・・ ↓↑ 些事・瑣事・佐治・柶・・・サジを投げる・・・ウマで逃げる・・・? ↓↑ 「佐士布都神(さじふつのかみ)」 ・・・佐治=サントリー(Suntory)=太陽+鳥居 ↓↑ ・・・「纂・簒・篹」鳥居 竄・戔・餐・湌・飡 Sun=太陽 tory=トーリー アイルランド語 「追われる者・無法者」 英国王党派 米国独立戦争時の 米国内王党派 Whig=ホイッグ スコットランド語 「馬を乗り回す・謀反人・馬泥棒」 ↓↑ 英国自由・自由民主党 佐治 敬三(19…
薄田泣菫・明治10年(1877年)5月19日生~ 昭和20年(1945年)10月4日没(享年68歳) 破甕の賦 火の氣絶えたる廚(くりや)に、 古き甕(かめ)は碎けたり。 人の告ぐる肌寒(はださむ)を 甕の身にも感ずるや。 古き甕は碎けたり、 また顏圓(まろ)き童女(どうによ)の 白き腕に卷かれて、 行かんや、森の泉に。 裂けて散れる菱形に、 窓より落つる光の 靜かに這(は)ふを眺めて、 獨り思ひに耽(ふけ)りぬ。 渇く日誰か汝(いまし)を、 花の園にも交(か)ふべしや。 唇(くちびる)燃ゆる折々、 掬みしは吾が生命(いのち)なり。 清きものゝ脆(もろ)かるは、 詩歌の人に聞いたり。 善きも遂…
島崎藤村・明治5年(1872年)3月25日生~ 昭和18年(1943年)8月22日没(享年72歳) 『若菜集』明治30年(1897年)8月29日・春陽堂刊 髮を洗へば 髮を洗へば紫の 小草(をぐさ)のまへに色みえて 足をあぐれば花鳥(はなとり)の われに隨ふ風情(ふぜい)あり 目にながむれば彩雲(あやぐも)の まきてはひらく繪卷物(ゑまきもの) 手にとる酒は美酒(うまざけ)の 若き愁(うれひ)をたゝふめり 耳をたつれば歌神(うたがみ)の きたりて玉(たま)の簫(ふえ)を吹き 口をひらけばうたびとの 一ふしわれはこひうたふ あゝかくまでにあやしくも 熱きこゝろのわれなれど われをし君のこひしたふ…
蒲原有明・明治9年=1876年3月15日生~ 昭和27年=1952年2月3日没(享年76歳) あだならまし 道なき低き林のながきかげに 君さまよひの歌こそなほ響かめ、―― 歌ふは胸の火高く燃ゆるがため、 迷ふは世の途(みち)倦みて行くによるか。 星影(ほしかげ)夜天(やてん)の宿(しゆく)にかがやけども 時劫(じごふ)の激浪(おほなみ)刻む柱見えず、 ましてや靡(しな)へ起き伏す靈の野のべ 沁しみ入るさびしさいかで人傳へむ。 君今いのちのかよひ路(ぢ)馳せゆくとき 夕影(ゆふかげ)たちまち動き涙涸れて、 短かき生(せい)の泉は盡き去るとも、 はたして何をか誇り知りきとなす。 聖なるめぐみにたよ…
野口米次郎・明治8年(1875年)12月8日生~昭和22年(1947年)7月13日没 「私の歌」 野口米次郎私のは進歩を否定する歌、 形式では律せられない無言の歌……… 生命の生れ、 避けることの出来ない偶然、 創造的本能の上昇、 歌よ、汝は現象だ、仕遂げではない。 言葉に形造られた時、歌の精神は衰へる、 構造の力を失つて、始めて、歌はその心を得るであらう。 廃頽は進化の転換期だ……… 秋の終る時、何といふ破産を自然に見るであらう。 ああ、新しき力は北方から来る……… 冬は神秘を行はんが為め、沈黙のうちに物思ひする。 自然をしてその負傷から、静かに回復せしめねばならない。 私はいふ、美の統治は…
野口米次郎・明治8年(1875年)12月8日生~昭和22年(1947年)7月13日没 「雨」 野口米次郎雨の唇に歌があるお聞きなさい、其れは空の歌を聞えるやうにしたのです、雨の唇に歌があるお聞きなさい、其れは地の歌を見えるやうにしたのです。 雨の歌は何を歌ひます、私は已(すで)に海の意味を耳にするのです、私は雨を空の死と老いて悲しき単調に疲れて、言葉を唯一の済度と頼む新しい霊だと思ひます。哀しい沈んだ世界の心の霊だと思ひます。 雨の唇に歌があるお聞きなさい、私は其中に時代の脈拍、渇望と神秘、人間の歌の全体を耳にするのです。 雨の唇に歌があるお聞きなさい、何の歌を歌ひますか、地と空の歌でせうか、…
こんにちは! 今日は、日本童話の三傑について紹介したいと思います! 日本童話の三傑に選ばれたのは、 小川未明 坪田譲治 浜田広介 の3人です。 それぞれ簡単に紹介したいと思います! 小川未明 小川未明とは、小説家、童話作家。 本名は健作。 雅号の未明は師の坪内逍遙(つぼうちしょうよう)が付けてくれたもので、正しくは「びめい」と読むが、今日一般には「みめい」と読まれている。 明治15年4月7日、新潟県高田に旧士族の1人息子として生まれる。 数学の成績が悪いため高田中学校を3回落第、創立まもなくの自由な雰囲気のあった早稲田(わせだ)大学英文科に学んだ。 在学中に書いた小説『紅雲郷』のロマンチックな…
土井晩翠・明治4年(1871年)生~昭和27年(1952年)没 「荒城の月」 土井晩翠明治卅一年頃東京音樂學校の需に應じて作れるもの、作曲者は今も惜まるる秀才瀧廉太郎君春高樓の花の宴 めぐる盃(さかづき)影さして 千代の松が枝わけ出でし むかしの光いまいづこ。秋陣營の霜の色 鳴き行く雁(かり)の數見せて 植うるつるぎに照りそひし むかしの光今いづこ。いま荒城のよはの月 變らぬ光たがためぞ 垣(かき)に殘るはただかづら 松に歌ふはただあらし。天上影は變らねど 榮枯は移る世の姿 寫さんとてか今もなほ あゝ荒城の夜半の月。(明治31年=1898年作、発表・明治34年=1901年『中学唱歌集』)* 仙…
蒲原有明・明治9年(1876年)生~昭和27年(1952年)没 「朝なり」 蒲原有明朝なり、やがて濁川(にごりかは) ぬるくにほひて、夜の胞(え)を ながすに似たり。しら壁に―― いちばの河岸(かし)の並み藏の―― 朝なり、濕める川の靄。川の面(も)すでに融けて、しろく、 たゆたにゆらぐ壁のかげ、 あかりぬ、暗きみなぞこも。―― 大川がよひさす潮の ちからさかおすにごりみづ。流るゝよ、ああ、瓜の皮、 核子(さなご)、塵わら。――さかみづき いきふきむすか、靄はまた をりをりふかき香をとざし、 消えては青く朽ちゆけり。こは泥(ひぢ)ばめる橋ばしら 水ぎはほそり、こはふたり、―― 花か、草びら、―…
人生はたぶん、回収されない伏線だらけでできていて、次の頁をめくっても、きっとそれは回収されないのだろうと思う物語の展開の面白さをただ楽しむならば マルケスの『百年の孤独』は今年で一番楽しませてくれた けれどそこに、殴られるような衝撃はなかった それはたとえば明石海人の三十一文字にかなわないのだった言葉は積み上げるほどに均衡をあやうくしていく ひずみをうみ、やがてそこから崩落することもあるだろう物語の大前提としてある「嘘」 嘘からはじまり、本当のことを伝えるための大いなる迂回 けれどそれが、その嘘が、言葉のすきまから、ひずみから覗くようでは、ぼくは耐えることができないのだろうと思う これはそう、…
薄田泣菫・明治10年(1877年)生~昭和20年(1945年)没 「ああ大和にしあらましかば」 薄田泣菫ああ、大和にしあらましかば、 いま神無月(かみなづき)、 うは葉散ちり透(す)く神無備(かみなび)の森の小路(こみち)を、 あかつき露に髮ぬれて、徃(ゆ)きこそかよへ、 斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野、高草(たかくさ)の 黄金(こがね)の海とゆらゆる日、 塵居(ちりゐ)の窓のうは白み、日ひざしの淡(あは)に、 いにし代よの珍(うづ)の御經(みきやう)の黄金(こがね)文字、 百濟(くだら)緒琴(をごと)に、齋(いは)ひ瓮(べ)に、彩畫(だみゑ)の壁かべに 見ぞ恍(ほ)くる柱はしらが…