1877-1945 詩人・随筆家。 岡山県浅口郡連島村(現在の倉敷市)出身。後藤宙外、島村抱月に認められて詩壇にデビュー。やがて、島崎藤村につづく詩人と目されるようになる。『暮笛集』『公孫樹下にたちて』『白羊宮』などの作品を発表。 その後、散文に移行。大阪毎日新聞社に入社後、夕刊に連載した「茶話」が人気を博す。それ以降、随筆家として活躍した。
今日は新聞、明日には旧聞。公約は口約。こういう文型にも何か呼び方があるのか、不明。 *** 文章とは意識の流れであるという。そこまで行けばあまり添削しなくなるという。「本当かよ」と疑って、はや数十年が経っている。 筆者の場合、意識を明晰にするという以前に、意識の流れをうまく安定させることができない。流れていくパターンは無数にあっていいと思うのだが、多重人格者の中に主要な人格が何人かいるように、意識の中でもある程度は意思統一を図りたいというのが、言ってみれば推敲の気分なのではないかと思う。 つまるところ推敲というのは程度の問題だと思う。あまり直さない人もいれば、発表した作品でもちょこちょこ書き直…
上本町近辺の町をよく歩いています。 薄田泣菫の歌碑の写真を撮っていると、その陰から子どもが一人出てきました。首を傾げながら、写真を撮る私と歌碑とを交互に見ます。その子にとっては日常の遊び場、これが被写体として特別な対象になるということが不思議なのでしょう。 町には歴史があって、我々もそこに連なるものの一つです。 しかし、「これはなんだろう?」と立ち止まる時、そこには、歴史という普遍的な存在から切り離されて、一人の人間としてものを思う”私”の姿が浮かび上がります。 「これはなんだろう?」
天神さんの古本まつりの100円均一台で、初日に見つけていた薄田泣菫の本。重たくなるし珍しい本ではないので、見送った。しかし、2日目にも残っていたので購入。『艸木蟲魚』(創元社、昭和4年1月)である。他にも泣菫の本はあったが、これにはやや珍しい蔵書印があったので買ってみた。 蔵書印は「太田蔵書」で、陽刻と陰刻の組み合わせの上、書体も変えている。全体の形も、刀のような不思議な形である。「NIJL 蔵書印データベース」に「太田蔵書」印は2種類収録されているが、本印とは異なる。おそらく同一人物によると思われる書き込みもあった。生田春月(昭和5年5月没)が「ハイネの散文の妙趣」は泣菫の散文で味わえると称…
雨降りで肌寒いので、今シーズンはもう使わないだろうと思っていたカイロを貼る。 寒いと露骨に体調が悪くなり、引き摺られるように落ち込んでしまうので予防しなければならない。 雨の日といえば、薄田泣菫の『雨の日に香を燻く』が好きだ。 タイトルの通り、雨音を聴きながら香を焚いてゆっくり過ごす楽しみが描かれていて、雨の日に読むと心地いい。 『薄田泣菫』という名前もいい。私も薄田泣菫を名乗りたい。 薄田泣菫に改名します。
重要文化財「黒き猫」の作者、菱田春草(1874-1911)は明治時代、日本画の改革を進める岡倉天心、横山大観らとともに、日本画壇から猛反発を受けながら、新しい日本画の道を切り開いた人物として知られる。 36歳で亡くなったため、大観の陰に隠れているが、大観は春草こそ本当の天才といい、後年小川芋銭が「黒き猫」を宋代の写実画に遡っても簡単には得られない「神品」と激賞している。 しかし存命中は一部以外からは評価されず、遺作展で明治天皇が作品を購入してから一気に人気、評判が高騰したという悲しい現実がある。 「黒き猫」部分 春草は死の前年に発表した「黒き猫」のほかにも、白猫など猫の作品を残している。村松梢…
ちょいとめでたいことがあったので、晩酌をしながらひさしぶりに古今亭志ん朝さんの「井戸の茶碗」を聴いた。ふと思いついて手許の電子辞書で「井戸の茶碗」を引いたところ、さほど期待してなかったのに「井戸茶碗」が「広辞苑」と「マイペディア」「日本史大事典」に立項されていた。 たとえば「広辞苑」には「朝鮮産の抹茶茶碗の一種で、日本には室町末〜桃山期に入った。古来茶人に尊重され、最高のものとされる。名称の起源は地名説、将来者名説などがある。いど。」とあり、「井戸の茶碗」には出自にまつわるモデルがあったと知れた。こんなことをいまごろ知るようでは落語ファンとはいえない。 ご承知のように「井戸の茶碗」は裏長屋に住…
「初めて現代詩を読もうとする年少の読者のために」書かれた批評家的資質の確かな詩人による現代詩入門書というのが本書の位置づけではあるが、刊行年度が1952年ということもあって、内容的には文語調の近代詩から口語自由詩へ発展し定着していく過程をたどるという、21世紀の現在においては研究書としても読めるであろう、硬質の論考となっている。新体詩から出てきた島崎藤村の詩を音韻論から読み解きはじめ、次世代の薄田泣菫、蒲原有明の文語調のサンボリズムの詩のイメージを使用された語彙に沿ってこまやかに解きほぐしていく。さらに北原白秋、伊良子清白、三木露風を経て本格的な口語自由詩の時代に入っていくことが、各詩人の特徴…
十一月早々、オミクロンに対応するワクチン接種の通知が送られて来た。今回で五回目となる。しないわけにはいくまいと日程を見ると、十二月二十四日土曜日、クリスマスイブの午後というけっこうな日に割り振られたものだが、無職渡世の老爺にもそれなりにつきあいがあり当日はすでに予定が入っている。 毎度副反応を心配するのはいやだから止そうかとも思ったが、罹患するとまずいので日程変更の電話をかけた。 まずは本人確認。通知番号、氏名、生年月日さらに通知書に書かれてあるこれまで四回の接種の日付を読み上げさせられ、ようやく本題に入った。本人確認までわたしは「お電話口様」と呼ばれた。 みょうに気ぶっせいな呼びかけ用語で、…
図解塾6期⑤。前回の復習は、梅棹先生の図解をみながら、出口治明先生の『歴史を活かす力Q&A』のをオーディブルで聴くという趣向を試す。「宗教が必要な理由」「宗教と暴力」「東南アジアにイスラムが多い理由」「インドでなぜ仏教が壊滅したか」。 梅棹先生が「宗教」には、教理や儀礼など宗教の内容である内的側面「系譜的相互関係」と、外界との関係をみる「社会的機能」という二つのアプローチがあり、後者の「宗教の文明史的考察」を深め「比較宗教論」を取り扱うと述べている。 出口先生のアプローチは、前者に属しており、事例と因果関係を端的に説明してくれているので、補完関係にあることがわかった。 宗教は「系譜的相互関係」…
朝から雨。吐く息が雲のように白かった。ぼう、ぼうと太い雲を吐き出しながら働いていた。手がかじかむのも楽しい。冬は寒いほうがよい。 山茶花も雨に濡れて葉も花も美しい。 帰ってトレーニングをしてから一休みして、二戦目、今度は勉強。昼は仕事、夜は勉強。それぞれにやることがあって面白い。 労災の解約や、廃業届の準備など、店じまいが進んでいる。ひょんなことから現場を思い出したりもする。寂しくはない。なるようになって今があるのだから。いい経験をした。そしてそれはこれからも続く。どのような形になっても、その経験を活かすか殺すか、それはいつも自分次第だ。 「樹木医の手引」ばかりを読んでいると、他の文章が読みた…
本当は怖い助六寿司昼休み、助六寿司が配給された。巻き寿司といなりが同数の場合は、どちらから食べ始めるか悩むところだが、今日のは、迷わず巻き寿司からだ。巻き寿司スタート巻き寿司フィニッシュ。食後、一緒に配給された柏屋の薄皮饅頭を手に、茶をすすりつつ、宮崎智之『モヤモヤの日々』(晶文社)をちびちび読む。著者がインタビューで、イメージにあったのが〈大正時代~昭和初期に薄田泣菫が書いた『茶話』とか、吉田健一が西日本新聞に連載していた新聞短文連載『乞食王子』でした。僕は本で読んだんですけど、そういった新聞コラムが大好きで、同じようなことができたらと思ったんです。〉と語っている。ここのところ山本文緒のエッ…
人間がまちがいをしたとき、どんな事態がもちあがるか。 弁護士がまちがいをすれば控訴を引き受けるまで、理髪師のばあいは髪の毛をもっと短く刈り込めばよい、医者だったらお葬いをすれば済む。ならばひとり者はどうか。 薄田泣菫の答はこうだ。 「独身者が間違ひをした時には、死ぬるまでその間違ひと一緖に暮らさなければならぬ」(『茶話』所収「間違ひ」より) だったら別れるとよいのにとお節介を焼くのは野暮で、離婚未満のところでなんとかいっしょに暮らしているわけだ。 ひとり者が伴侶の選択をまちがった。しかし破局にまでは至らず、渋々ながらともに生活する、つまり不作である。悪妻を持った失敗を「百年の不作」という。「自…
1967年11月、日東館から刊行されたアンソロジー詩集。編集は中村隆、君本昌久、伊勢田史郎、安水稔和。 われわれが「ことば」によって「こころ」をつなぎとめようとしてからすでに久しい。それは気も遠くなるほどの時をさかのぼった過去から、たえずわれわれを突き動かしてきた衝動である。 だが、だからといって、衝動であるからといって、ただ手を垂れて耳を伏せていた者をしも、駆り立ててきたわけではない。 たとえば、喜びの日に喜びの歌うたいつつも、喜びに酔う人々から離れて血の黒さを見定める眼を持つとは、どういうことなのか。歌うたうものは、しよせん、斜めにもの見る眼を持つという光栄を有するものの謂か。「こころ」を…
電子本『薄田泣菫茶話全集』を読み終えた。全八百十一篇のコラムの集成を廉価で提供していただき大いに感謝、また初出通り歴史的仮名遣いを用いているのもうれしい。四十代だったか、冨山房百科文庫版全三巻を読んで以来のめぐりあいで、かつてより今回は味わい深い読書ができたと自讃している。 茶話(ちゃばなし)すなわち茶飲み話のような気軽な世間話をいう。これを大阪毎日新聞の記者だった薄田泣菫が連載コラムの総題とした。有名、無名を問わず人々の逸話やゴシップを幅広く取り上げ、寸評を交えながら簡潔にして諧謔に富んだコラムは人気を博し、一九一五年(大正四年)から一九三0年(昭和五年)にかけて書き継がれた。 たとえば音楽…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 詩集『白羊宮』などで象徴派詩人として明治詩壇に一時代を劃した薄田泣菫は、大阪毎日新聞に勤めてコラム「茶話」を連載し、好評を博する。人事に材を得た人間観察から、やがて自然や小動物を対象にした静謐な心境随筆へと歩をすすめ、独自の境地を切り拓いた。本書は泣菫随筆の絶顚であり、心しずかに繙くとき、生あるものへの慈しみと読書の愉悦とに心ゆくまで浸るにちがいない。 ロマン派そして象徴派に挙げられる薄田泣菫(すすきだきゅうきん 1877-1945)は、詩人として日本で初めてソネット(絶句)を発表し、文士として芥川龍之介を文壇に立つ足掛かりを与えました。 詩…
八月二十日新型コロナの四回目の接種をした。場所は文京区シビックセンターの展望ラウンジのある二十五階で、接種はいやだがラウンジからの眺めはよい付加価値である。 接種後十五分は事後観察があり、それが済むとエレベーターで一階へ下りた。とちゅう同世代とおぼしき女性から「これで安心よね」と話しかけられて「そうですね」と応えたけれど、心のなかでは接種によるトラブルがないよう願っていた。 新型コロナ接種で、これでひと安心と思える人と、接種のトラブルがわが身に及ばなければよいがと不安を感じる人。ここのところがオプチミストとペシミストの分岐点で、現在のわたしは明らかに後者に属している。以前は豪放磊落、細かいこと…
この本は、高尚と下世話の混在だけれど、森繫さんの話をひとつ。 ・・・ずいぶん前だが、テレビを見ていると、森繁久彌さんが、やはり目の不自由な子供たちの前で、歌っていた。 「七つの子」という、童謡である。 「からす、なぜ鳴くの。からすは山に、かわいい七つの子があるからよ」と歌って行く。 二番は「山の古巣へ、行ってみてごらん」というのだが、森繁さんの表情が一瞬こわばった。舞台に出ていて、セリフが思い出せずギクリとしたような感じの顔だった。 なぜそんな顔をしたのかが、すぐにわかった。森繁さんは「まるい目をした、いい子だよ」という歌詞にぶつかって、困ったなと思ったのであろう。 しかし、歌は、わずかなタイ…