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薩摩半島

(地理)
さつまはんとう

鹿児島の南岸に延びる半島のうちの左の方。右の大隅半島とともに、鹿児島湾を囲い込んでいる。
西岸は吹上浜。枕崎、指宿、加世田、知覧などがある。

先端付近には池田湖があり、これは日本の半島としてはあまり見られない光景である。
南東端には標高922mの開聞岳(薩摩富士)がそびえる。

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■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑷。私が石原莞爾に興味を持つにいたったのは、東京裁判臨時法廷におけるその奇抜な言動に接したからではない。また、満洲事変における軍人としての天才的な軍事戦略と大活躍のせいでもない。何回も繰り返すが、《 日蓮 》や《日蓮宗 》について、『世界最終戦争論』の中で、戦争論や戦略論を論じながら、同時に、大真面目に論じているのに感動したからである。石原莞爾は、自分の信じる宗教は《 日蓮宗 》である、自分が死んだら葬式は日蓮宗でやってくれ、などと、呑気なことを言っているのではない。『世界最終戦争論』という論文の中で、むしろその思想的根拠として…

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■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑵。私が、『世界最終戦争論』で、もっとも面白いと思い、思わず引きずり込まれたのは、日蓮や日蓮宗の問題であった。だから、私は、以後、石原莞爾について語る奴が、《 戦争》や《戦略 》のことしか語らず、《 日蓮宗 》を中心に《 宗教 》の話題をスルーしている人を見ると、《 コイツはチャント、『世界最終戦争論』を読んでないな》と思うことにしている。さすがに福田和也は、そこも読んでいるらしいが、しかし私から言わせると、まだ不十分である。通りいっぺんの分析と解釈しかしていない。福田和也の石原莞爾伝『 地ひらく』は、昭和史の解説としては、詳し…

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