仏界の東方を治める。医薬を司り、人々の病気を治し、安楽を与える。そのため仏像は左手に薬壺を持っていることが多い。 脇侍に日光菩薩・月光菩薩。眷属に十二神将。
勝常寺(平安時代) 仁和寺(平安時代) 神護寺(平安時代) 醍醐寺(鎌倉時代) 獅子窟寺(平安時代) 新薬師寺(平安時代) 元興寺(平安時代) 唐招提寺(平安時代) 薬師寺(白鳳時代) 法隆寺西円堂(天平時代) 法隆寺(平安時代) 法隆寺(飛鳥時代) 奈良国立博物館(平安時代)
こんちわ 皆様 例のショックと、傷心と 体調不良で なんだかよく分からない 状態になっております 阿呆な CHOKKOめであります。 いや〜 二日・三日と、最低な状態だった 体調も、少〜し 持ち直して来たので 折角の『春休み』を 寝込んでるバヤイで無いなぁ… と 寝床から無理やり這い出してきて、 何か、今のうちに出来ることをしなくては〜 などと考えまして で どこかへ行かなくちゃ と言う 衝動にかられておったのであります。 では何処行くの? と言うことですが まぁ 何ですよ こういう時は、やはり奈良 傷ついた心身を癒すところと言えば やはり、あたしの場合 まずは愛しい奈良へ と言うことに なる…
雨が降り止まぬ3月も末のある日、学校が春休み中の娘と山口県防府市にある周防国分寺を再訪しました。 1月に参拝した折、帰る道で娘の体調をこちらの仏様が治してくださったとのことで、そのお礼の参拝です。 その時の過去記事↓ 霊的に観える方と最近ご縁が出来たので確認すると 「お薬師さまのお姿が観えますよ。」 とのこと。 直近で娘が手を合わせたのはこちらのお薬師さまだし、間違いない!と親子共々確信しました。 雨混じりの台風並みの強風が吹き荒れる中、山口へ向かう高速道を運転中絶えずハンドルを取られそうになりました。 なんで、こんな日に行くことになっちゃったかなあ・・・! とつぶやきながら、山口県に入ってし…
東京都杉並区の寺社散策が続きます。今回は、真言宗室生寺派の「龍光寺」です。 前回の「永福稲荷神社」から北東方向へ、京王井の頭線を越え「神田川」沿いに歩いて10分位の所にあります。神田川は、区内の散策で中野区から新宿区、文京区、千代田区とよく出会います。神田川の源流は、井の頭公園の池です。 石柱門から山門へ 山門の前に、龍光寺の石柱門が建っています。右側に山号の「泉涌山」、左側に寺号の「龍光寺」の文字が刻まれています。 石柱門を入ると直ぐ左には石庭があります。 巨大な石燈籠があり、「大師灯籠」と呼ばれているようです。 石柱門の直ぐ右の二階の建屋が、大師堂です。 参道を進むと石段があり、山門まで少…
こんにちは、麻夢です♪ ふぅ…美しい夕焼け (^^) お外に出れるって、なんて素晴らしいことなのでしょう♡ 流行病で12日間、おうちに引きこもっていましたが、 お陰様で、無事に復活しました!! 今日のお話は、流行病とのスピ戦記です p(‵□ ′ )q ・.*...☆...*.・.*...☆...*.・.*...☆...*.・ 私の流行病の発症は… 実は、ちょびっと自業自得でした (- -;) 先に旦那くんが感染して、5日間の自宅療養を経て、なんとか回復☆ 私はその間ずっと無症状♪ 「もぅ発症せんっちゃない?!」なんて高を括った日曜の夜、ガソリン注入!!(瓶ビールを2本飲みました) お酒大好き人…
薬師堂 元岩瀬の中心部にある薬師堂。 普段は薬師堂やお堂と呼ばれることが多いが、正式名称は「瑠璃光山 無量院長千寺」(であるはず)。元岩瀬の人々の墓に囲まれている。 お堂の扁額扁額を書いた仁平氏は元岩瀬の有力者だ。 鐘はついているが鳴らす術はなく、賽銭箱もない。今は寺としてより、墓場としての面が強い。 写真には撮らなかったが、本堂の左の小屋には牽引タイプの霊柩車が入っていた。 由緒書き 由緒書きには文化財に登録された薬師如来像の説明のほか、寺の変遷が書いてある。 要約すると 仏像は室町中期(1450年頃)の一木造。 仏像は登録されたものが16体、全部では400体祀られている。 元は岩瀬高校東側…
先週末、娘がメインの用事で夫と私と娘の3人で山口市へ行ってきました。 (出不精な息子は留守番) 前日にテレビで防府市にある周防国分寺が放送されていたのを見て、 防府は途中だし行ってみよう! ということになりました。 ポツポツと雨がそぼ降るお昼前に到着。 カサをさして参拝しました。 入り口両側にある大木が圧巻で、しばらくほえ~ほお~と(ややアホ面で)見て回りました。 国分寺とは,奈良時代に聖武天皇が日本の各地に国分尼寺とともに建立を命じた寺院。 お寺のパンフレットによると 元の建物は室町時代に焼失して現在残っている仁王門や金堂は江戸時代のものとのことでした。 駐車場そばには聖天堂もあって、熱心に…
きょうの夕方、松乃木大明神にいたにいやん きょうの夕方、スーパー玉出へ行くついでに、松乃木大明神に寄った。 にいやんが薬師如来の祠、やんちゃんが松乃木大明神の祠にいたが、やんちゃんは私が境内に入ったのを見て姿を隠した。 にいやんは薬師如来の祠で悠然と構えていて、ほとんど目を閉じず、周囲に目を光らせていた。 「顔をきょろきょろさせると撮りにくい。早く寝たらどうだ」と思いながら近づいたら、何かに気付いたようで祠から飛び降りた。 その直後…。 境内の脇で「ギャー」という猫の悲鳴が聞こえたかと思うと、キジトラの猫をにいやんが追いかけて行った。 その様子を見て、にんやんの役割がわかった。 にいやんは神社…
本日は、高賀山六社巡りの5社目として那比新宮神社にお邪魔してきました。 実のところ、前回お邪魔してきた星宮神社の近くで、杉の木についていたクマと思われる爪痕を見て以来、お宅訪問に若干の恐怖を感じていたため、ご無沙汰をしていたわけですが、再び星宮神社にお邪魔したいと思い、お邪魔しましたが、そのままの勢いでお邪魔してきました。 実は、クマの恐怖だけでなく、道がかなり厳しいという事を情報として持っていたため、あの小径に向かうこと自体がためらっていたのですが、大晦日のこの日は、とても静かだったので、小径で対向車と合致することはないだろうと思い、そのまま向かってみました。 星宮神社から那比新宮神社までの…
きのうの夜、松乃木大明神にいたにいやん きのうは雨が降ったりやんだりで不安定な天気だった。 仕事が終わり西成まで帰ってから、松乃木大明神へ行った。 雨は上がっていたが、雨宿りの続きで猫が祠にいるんじゃないかと思っていた。 神社に近い路地ににいやんがいた。 「こんなところで何やってんだ」と声を掛けて神社に向かった。 境内に猫の姿はなかった。 そのうちににいやんがニューニャーと鳴きながら入って来た。 にいやんは私にちょっとだけすり寄ったかと思うと、薬師如来の祠に飛び乗った。 それを見て、私はすぐにバッグからカメラを取り出して撮影した。 にいやんは私の求めに応じるかのように姿勢を変え、しばらくして祠…
小田原へ行こうと考えていた。ところが朝起きてみると津波注意報が発令されていた。調べてみると西湘バイパスは通行止めだ。せっかくなので海を左手に小田原へ行きたいではないか。 小田原城。ユクを連れていきたい。 天気は良い。妻がすぐに代案を出してくれた。朝比奈切通ハイキングコースだ。北鎌倉は少し距離があるので、普段の散歩で足を伸ばすには遠い。車で近くまで行って、ハイキングコースに入るのが良さそうだ。 運転に慣れていないので、行き当りばったりでは嫌だ。事前にできる限り調べた。十二所側の入口には駐車場がない。霊園に停めて行くこともできない。横浜側の入口ならいくつか駐車場があった。駐車場のレビューを確認して…
『妄想仏像見学会二百十一回目』は【京都・三十三間堂/金毘羅王(二十八部衆)(鎌倉)】です。国宝。158cm。 『妄想仏像見学会二百十二回目』は【京都・三十三間堂/難陀竜王(二十八部衆)(鎌倉)】は国宝。159cm。 『妄想仏像見学会二百十三回目』は【京都・仁和寺/薬師如来坐像(1103年)】 『妄想仏像見学会二百十四回目』は【香川・曼荼羅寺/聖観音立像(平安)】です。 『妄想仏像見学会二百十五回目』は【滋賀・正妙寺/千手千足観音(平安)】です。 『妄想仏像見学会二百十六回目』は【京都・広隆寺/千手観音立像(平安初期)】です。像高266センチ 『妄想仏像見学会二百十七回目』は【奈良・室生寺/伝・…
こんにちは!アラカンタロウです。 小泉八雲の怪談を英語で読んでいっているのですが、「乳母桜」と言う話がありました。 書き出しに”Three hundred years ago, in the village called Asamimura, in the district called Onsengori, in the province of Iyo, there lived a good man named Tokubei.”から始まり、内容は徳兵衛と言うものが、伊予(愛媛県)温泉群(おんせんごおり)朝美村にいて、子供がなかなかできないので「西法寺」の「不動明王」にお祈りを続け、やっと子…
皆さんは大豊町(おおとよちょう)へ行かれたことありますか? 豊かな自然に囲まれた町とっして知られ、川や山々が広がる癒しスポットが数多くございます。 今回は【自然の魅力を堪能しよう!大豊町のおすすめスポット】についてご紹介していきます。 のどかな田舎町の風情が楽しめる素敵な町ですので、ぜひ一度観光巡りをされてはいかがでしょうか。 大豊町の魅力について! 樹齢3000年とも言われる大きな杉の木がありパワースポット!【杉の大杉】 アクセス方法 大自然を間近で体験できるスポット!【パッピーラフト】 アクセス方法 歴史ある建物が残されているスポット!【旧立川番所書院】 アクセス方法 歴史が感じられる四国…
お手伝い初日でおます。 今日は主に、 掃除と、 道に生えてきたタケノコ掘り。 薬師如来坐像も見せて頂いた。 (凄すぎて私なんぞには感想も述べられません) いやしかし復興プロジェクト。 これはなかなかに大変なものやと安易やが想像出来る。 まだ住職さんが健在の時はやっぱしそれなりに手伝いに来てくれる人がいたやろうけども、その人たちも同じように年をとって足が遠退く。 次なる世代と言うか、動ける人たちが動き、 出来る事なら次の世代にバトンを渡せるように。 ゆくゆくはライブも出来るように、との事でそうなる事を願いつつ、楽しい想像もしながらお手伝いさせて頂きます。 (山なので、最悪メガソーラーとかやられた…
奈良時代に行基により開山されたという大善寺(山梨県甲州市)。行基が修行の折、葡萄を持った薬師如来が現れ、その姿を自ら刻み、大善寺を建立したという歴史ある古刹。県内最古の木造建築物で本堂の薬師堂は国宝、平安時代の薬師三尊、鎌倉時代の日光・月光菩薩、十二神将は重要文化財。通称「ぶどう寺」として知られ、滅亡直前の武田勝頼公一行が薬師堂で一夜を過ごした。 大善寺ご本尊・葡萄を手に持つ薬師如来の御朱印 国宝・薬師堂 武田勝頼公一行を大善寺に迎え入れた理慶尼。勝頼公の乳母だったとも伝わる。武田滅亡記とも言われる理慶尼記を書き残した。 理慶尼の墓 近くにある温浴施設、ぶどうの丘からの景色
現存する最古写本を残した和仁古安聡は俗名を「井保勇之進」と名乗っていました。池田満氏の解説によれば、井保家は伝教大師最澄の頃に遡る旧家とされますが、果たして、井保の名前はどこから来たものなのでしょう。 そもそも後の比叡山建立の根本仏(秘仏)に縁がある(788年、最澄は薬師如来を本尊とする草庵、一乗止観院を比叡山に建立)という万木の薬師堂が子守大明神社とともに護持されるようになったときから、井保坊の名前が世に顕れたとのことですが、その時には既に長らく当地の名家として、井保家は存在していたのでしょう。 「井保坊は、二十三代大鶴軒孝阿に至るまで妻帯しなかった」と池田解説にありますが、そもそも坊は学侶…
5:40ロビー集合。 閑散とした中、ロビーに向かう。流石に眠たい。遅れないようにと意識すると、グッスリ眠るとまではいかなかった。うとうとした感じで 目覚ましなしで起きた。 パラパラと人が集まり出す。 知らないものどうしなので、微妙な距離感で僧侶がこられるのを待つ。 このな早朝に、ものづきな人がいるもんだと、自分を棚に上げて思う。 この辺が宗教の秘められたパワーかな。 朝のお勤めを体験してみたいのか。 朝からそんなくだらないことは、到底聞ける雰囲気ではない。 あ、案内係の方かな、オレンジの袈裟で現れ、これから始まるツアー感でワクワク。 長谷川等伯親子の障壁画が楽しみに参加しているのだが、仏教ファ…
今日は中国は四川省成都にある道仏習合のお寺の方が見えました。 道教の寺は道館といいます。 斗母をお祀りしているそうです。道教では摩利支天に近い神様です。 www.youtube.com ほかに薬師如来や大黒天も。 道教ですが密教も関心あって日本で修行され、灌頂もうけられた由。 やはり拝んでいる方というのは私の話をよく理解してくださる。 多くの点で共通を見ました。 この方はなるべくして道士になった方のようにお見受けしました。 前世でも修行しておられたのかもしれません。 女性ですが自分が経営していた会社をきっぱり手放してこの道に入られた方です。 こういう決然たる女行者に合うのは久しぶりだ。 なかな…
亀岡市 第21番穴太寺は、亀岡市に所在する唯一の札所です。この亀岡市、京の都の北西部に位置しています。有名な、嵐山に流れている桂川の上流にあり、渓谷を流れ下る保津川下りの起点となるところです。戦国時代に名を馳せた明智光秀は、この地に丹波亀山城*1を築くとともに、城下町を整備して都の防御を確たるものにしたのです。 京都市に程近い亀岡市。今は、京阪神のベッドタウンの位置付けもありますが、落ち着いた町並みや農地なども残っていて、山深い丹波の国へと踏込んだ、独特の雰囲気が感じられるところです。 穴太 第21番目の札所である穴太寺は、”あなおじ”と呼ぶようです。ただ、お寺で頂いた資料には、”あなおうじ”…
源氏物語 角田光代(訳) 川出文庫 800円(税別) 現代語訳です。 世界最古の長編物語。 約1000年前に書かれた物語とは思えない・・・。 現代語訳は初めて読みました。こんなに壮大な長編物語だったとは! こんな物語を書いた紫式部は極楽へは行けない、けしからん!という方がいらっしゃるのも良く分かりました。 最古の長編小説が源氏物語って言うのは内容含め様々な意味ですごい話です。 日本は元はかなり自由度が高い国なのでは? 角田光代さんの訳、とても読みやすいです。 古典の授業で出てきた若紫の登場シーンがとても印象に残っているのですが、角田光代さんの現代語訳には眉の描写はなく(眉がぼうっとしていて・・…
医王山正智院泰平寺(たいへいじ)は鹿児島県薩摩川内市大小路町にある。かつての薩摩国の高城郡(たきのこおり)の水引郷(みずひきごう)のうち。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は島津氏を攻める。大軍勢を率いて薩摩国に入り、陣を置いた場所は泰平寺であった。豊臣軍は圧倒的な兵力で島津方を敗走させる。島津義久(しまづよしひさ)は降伏。そして、剃髪して泰平寺におもむいた。豊臣秀吉に面会し、降伏が正式に認められた。 豊臣秀吉が引き連れていた兵は10万以上とも。これほどの大軍勢が駐屯できる場所はそうそうない。泰平寺は大寺院だったことがうかがえる。 明治初めの廃仏毀釈で泰平寺は徹底的に壊され、伽藍跡などは残っ…
金泉寺仁王門 四国八十八ヶ所の第3番札所は、亀光山きこうざん釈迦院しゃかいん金泉寺こんせんじです。1番札所からも4km程しか離れておらず、阿讃山脈の南麓の平坦なところに札所が固まっています。金泉寺は弘法大師が手ずから掘られた井戸の伝説が残っているお寺です。 金泉寺の巡礼情報 金泉寺の縁起 金泉寺の見所 仁王門 八角観音堂 大師堂 本堂 多宝塔 弁慶の力石 黄金の井戸(地蔵堂) 閻魔堂 極楽寺のご詠歌 金泉寺へのアクセス 公共交通機関 お車 金泉寺データ 境内案内図 南坊の巡礼記「金泉寺」(2020.7.23) 宿情報 金泉寺の巡礼情報 金泉寺は、四国八十八ヶ所の第3番札所となっています。1番か…
2024年(令和6年)4月11日(木)通算㉔日目 晴 高知遍路の続きを始めます! 前回は、……新型コ□ナ禍初年度の春🌸 その時の記事↓ nayumimahenro.hatenablog.com 奇しくも、前回最終日の、 2020年4月11日 から、 丁度4年目(!)の、 2024年4月11日 再開です 三3 ただ、実は、2022年5月に、 原付遍路で第36番~別格5番は、 打ちに来ておりまして…… その時の記事↓ nayumimahenro.hatenablog.com nayumimahenro.hatenablog.com 須崎までは到達しているので、 道の駅すさき~土佐新荘辺りから、 再…
(令和6年3月27日その2) 千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、神野の大師堂(番外)&神野の玉蔵院(53番)&熊野神社の次は、保品(ほしな)の東栄寺(54番)、続けて、保品の番外大師堂に参ります。 熊野神社の参道を下りての右(南南東)方向に進みます。道なり適当に、しかし台地の上には出ないように進むと、神野・保品境の三叉路に出ます。八千代市神野から保品への三叉路そのまま直進気味に右折します。千葉県道263号八千代宗像線との突き当り丁字路、千葉県道263号保品の神野寄り丁字路左折しますが、その直後、千葉県道263号保品郷付近右手に古道が見えますので、そちらに移ります。古道をゆるゆる進むと、隣の県道が、直…
西山へ 京都市内の札所巡りを終えた後、その後は、一気に郊外へと向かいます。続く札所の善峯寺(よしみねでら)は、京都盆地のさらに西。京都市と隣接する、向日市や長岡京市を通り過ぎ、大阪府と隣接する山中に境内を構えています。ただ、善峯寺の所在地は、京都市西京区大原野。元々、大原野村という、独立した自治体だったようですが、昭和34年の合併で、京都市に編入されたということです。 この善峯寺がある辺り、通称、西山と呼ばれています。都の西に連なる山は、日が沈む方角にあり、都人には、黄泉の国とも通じるような、特別な場所だったことでしょう。 ※善峯寺のパンフレットより。 山門へ 第20番目の札所である、善峯寺へ…