竹と酒をこよなく愛し、1807年(文化4年)高槻藩士・藤井沢右衛門家に生まれ鉄砲奉行としてお城に勤めた幕末の漢詩人・藤井竹山。 詩は頼山陽に学び山陽亡き後は梁川星巌に師事、七言絶句を得意とする事から「絶句竹外」と称され代表作に吉野山の桜と南朝への感傷を詠った漢詩・芳野三絶の内の一首「芳野」や「花井」「花朝下澱江」などが在ります。 「芳野」懐古で後醍醐帝の陵墓吉野山や南朝への思慕を詠った事や梁川星巌との親交から尊王歌人とも呼ばれますが、ご本人はいたって興味は無かった様に奇行を重ね「疎放、飄逸、酒乱」と評される生活を営んでいます。 藤井竹外の逸話として、「大塩平八郎の乱」に絡んで取り調べられた高槻…