おはようございます。 天慶四年 941年 6月16日 朝廷は臣下の藤原忠文を征西大将軍に任命、 伊予の国など瀬戸内沿岸を荒らし大宰府を占拠していた藤原純友の征伐を 指示しました。藤原忠文軍は朝廷の正規軍であるし軍容も整っていたので 純友軍を徐々に追い詰め最後は敵将の純友を討ち反乱を収めました。 同じ頃 関東では平将門が私有地の争いが周辺に飛び火して大きな争乱 に拡がりそれが碁界を招いたすえ朝廷に反旗を翻します。一時は下野国、 常陸国、下総の一部などを抑えました。しかし 朝廷からの藤原秀郷を 大将とした追討軍に惨敗。 将門は討たれ 反乱は鎮圧されます。 どちらも国人、豪族の首領を担ぎ上げた反乱で…