中臣鎌子連、中臣鎌足とも、字は仲郎、大和国高市郡人なり。 先祖を天児屋根命とす中臣氏の胤で、父は美気祐卿、母は大件夫人。
天智天皇八年冬十月の丙午朔庚申、藤原氏に改す。
その事蹟について、藤原仲麿撰の藤原家伝(大織冠伝とも)があります。
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。三省堂提供「大辞林 第二版」より
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
訓読 >>> 吾(あれ)はもや安見児(やすみこ)得たり皆人(みなひと)の得がてにすとふ安見児得たり 要旨 >>> 私は今まさに、美しい安見児を娶(めと)った。世の人々が容易には得られない、美しい安見児を娶ったぞ! 鑑賞 >>> 藤原鎌足といえば、歴史の授業でもおなじみの人物で、大化の改新で活躍し、藤原氏の始祖となった人です。この歌は、内大臣となった鎌足が、采女(うねめ)の安見児(やすみこ)という女性を娶ったときに詠んだ歌です。 采女というのは、天皇の食事に奉仕した女官のことで、郡の次官以上の者の子女・姉妹の中から容姿に優れた者が選ばれました。身分の高い女性ではなかったものの、天皇の寵愛を受ける…
おい!鎌足ちゃん蘇我入鹿さぁ〜最近調子こいてるし どうかして締めたろや。 いやいやいや中大兄皇子さんそんな話人に聞かれたらヤバいっす 談山(かたらいやま)で談合しましょうぜ。 談山神社!出撃 鎌ちゃんさ〜腹減らない? 中大兄皇子兄貴、だんごでも買ってきますか? いや話ついてからやな 階段えらいのぉ〜 皇子!なんや階段登らんでも上がれる足らくコースゆうのありますわ ええとこやな〜紅葉も今から俺らがやろうとしてる暗殺計画祝ってくれとるんちゃう 皇子!あれが名高い十三重塔です。鎌足よ〜五重塔でええがな 中大兄の兄貴、吊り灯籠気に入ってそればかっか撮ってまんなぁ せっかくきたんやし蹴鞠でもやりましょや…
●歌は、「玉櫛笥みもろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ」である。 奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(45)万葉歌碑<プレート>(藤原鎌足) ●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(45)にある。 ●歌をみてみよう。 ◆玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之自 或本歌日玉匣三室戸山乃 (藤原鎌足 巻二 九四) ≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)みもろの山のさな葛(かづら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましじ 或る本の歌には「たまくしげ三室戸山の」といふ (訳)あんたはそんなにおっしゃるけれど、玉櫛の蓋(ふた)ならぬ実(み)という、みもろの山のさな葛(かず…
GW中は近所のお山で運動。 高槻市にある阿武山を散策。 阿武山への登山ルートは私が知る限りではあと2ヶ所あるのですが、こちらの自宅から一番近い登山道は初めてです。 灯台下暗し。 というよりも、近いからいつでも行けると思って行っていなかっただけのことです(笑) 阿武山山頂には阿武山古墳があり、埋葬者の最有力候補として藤原鎌足さんの名が挙げられております。 こんな近所に歴史の教科書にも出てくる大化の改新の立役者が埋葬されているのかと思うと、なんだかワクワクしてしまいます。 そう、全く隠しておりませんが私は歴史オタクです(笑) さて、山頂でお昼ご飯を食べるミッションを早々に終えて、道中の立札で知った…
昨日は中村哲先生を偲んでいました。 先生の魂は、 アラル海へ注がれるふたつの河川 アムダリアとシルダリアのはざま、 命を懸けられた地に留まるに納まらない。私の容貌は弥生人のベースに 大きな目と二重瞼だけを移植した、 10%だけ縄文人のハイブリットです。 そんなこてこての日本人の私が、 アーリア人の原郷と見なされる Trans Oxianaの地に惹かれるのは。奈良にはペルシアが生きている。 栄光の古代帝国の火が受け継がれ、 今も極東の古都で光り輝いている。 持統天皇は若いころ、 飛鳥の都に落ち延びた サーサーン朝の皇女と誼を結んだ、 そう私は思っています。 二人の皇女の年齢は同年代です。 この勇…
いまはむかし、 私は奈良の桜井の多武峰、 談山神社で巫女をしていました。 世阿弥の能楽研究の一環で 多武峰をたまたま訪ねてみたら、 「巫女さんしてみいひんか」と 神職の方にスカウトされたのです。談山神社は、大祭の日には 五摂家の殿様方が直参される、 ばりばりの藤原氏の氏神の社です。 お祭りのその日、 鷹司様か九條様か失念しましたが (真実やんごとない方々なのでしょう、 皆様一様に良い意味で特徴がなく、 私には見分けがつきませんでした)、 五摂家の殿様のおひとりが、 二十歳そこそこの腰かけ巫女の私に 「みかんこさん、私たちのご先祖様、 存じ上げておられますか?」 と問いかけてこられました。 「大…
昼間の気温は20度もあったとか。 そんなことも、帰ってから知ったとても良いお天気のある日、以前からこの長い階段の先が気になっていた阿武山稲荷神社と、近くにある藤原鎌足公の墳墓だと言われている阿武山古墳へやってきました。 階段を上りきると、いきなり狭い山道。少し歩いただけで汗が噴き出す暑さ。 朱塗りの鳥居が見えてきました。 この鳥居が山の上部にそびえ立っているのを車から何度も目にしていましたが、駐車場がないこともあり、やっとお参りに来れました。 鳥居をくぐるとほどなくして祠が見えてきました。 祠を護るように、左右に生えている木が鳥居のように見えます。 先程まで暑かったのが嘘のよう。生い茂った木々…
萬葉集巻二 九一歌から九五歌は一つの歌群をなしある種複雑は人間模様を背景とした宮廷恋物語である。臣下藤原鎌足は皇子の皇女鏡王女を正妻とし、さらに采女を得ている。中大兄皇子(天智天皇)の片腕として大化の改新で活躍その後も忠臣として仕えた論功行賞であろうか。 万葉歌碑を訪ねて(その112) ●歌は、「君はもや安見児得たり皆人の得がてにすといふ安見児得たり」である。 奈良県桜井市談山神社境内万葉歌碑(藤原鎌足) ●歌碑は、多武峰談山神社神廟拝所前にある。 ●歌をみてみよう。 ◆吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利 (藤原鎌足 巻二 九五) ≪書き下し≫我れはもや安見児得たり皆人(み…
前回の家持の歌と同じ「あきされば」「天の川」「霧」をパーツに持つ歌は、けっこうあるらしい。 下の人麻呂の歌もその一つ。 秋去者 川霧 天川 河向居而 戀夜多 これがうわさの正訓表記だ。漢文と一緒で、字面で意味はなんとなく分かるけど、どう読むかが難しい。 たとえば、 あきされば かはぞきらへる あまのがは かはにむきゐて こふるよぞおおき これは、昨日使った桜楓社の「萬葉集」(鶴久・森山隆編)が採用している読み。 他にもたぶん、読みはたくさんあるはず。「川霧」のところを「川霧立てる」とするとか。その場合は「霧」を名詞と考える。「きらへる」と読む場合は、「霧」は四段活用の動詞「霧る」となる。意味は…
山ちゃん氏がブログにおいて大聖師の家系図をさらに詳細に調べた結果を発表されていた。 山ちゃん氏は私が「反生長の家の人」として紹介されたことを遠回しに咎められていたが、人類光明化運動の不動の中心である「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」に反対しているという意味で「反生長の家」と述べたのであって、彼の信仰を反生長の家的と言っている訳ではない。山ちゃん氏は元々生長の家青年会で活動されていた先達であるから、今からでも生長の家に戻ってきて大先輩として指導していただきたいものである。 それはともかくとして、一介の歴史好きとしては山ちゃん氏による調査の学問的クオリティの高さには感嘆するばかりである。…
どうも、ひのきですm(*_ _)m タイトルを見て どこ? と思われた方も多いのではないでしょうか今回はこちら多武峯内藤神社です 多武峰 読めますか?たべみね、たぶみね、たぶほう、おおたけみね 違います とうのみね(とおのみね)(とうのめ)ですって!! 社名は 多武峯神社 ですが 多武峯内藤神社 とか 内藤神社 と呼ばれることもあるのだそうです こちらは千駄ヶ谷、新国立競技場から新宿御苑の東側を北上し、新宿三丁目へ向かって歩いている時のことでした普通にテクテクと歩いていたのですが、もうお馴染みのアレです、なんでかわからないアレですどうしてか分かりませんが、この路地を通り過ぎる時だけ、横を向いて…
【カニ神社紀行その230】平城京だった奈良は基本仏教都市なのでお寺が多い。興福寺や東大寺に寄り道しつつ平城京を守護するオヤシロ、大和国・春日大社参拝です。藤原鎌足を始祖とする藤原氏の祖霊を祀る神社で、祭神は「アメノコヤネ」「ヒメガミ」「タケミカヅチ」「フツヌシ」の4柱。中でも鹿島神宮から神鹿を引き連れてやってきたタケミカヅチ!奈良の象徴である鹿はその子孫と言われてます。ちなみ春日大社を創建したのは藤原鎌足の息子・藤原不比等。日本書紀編纂の責任者で、藤原氏は以後の日本の歴史に大きな影響を及ぼす一大勢力となり、その子孫は現在まで続いています!
神様はどのように日本をエバ国として準備、育てられたのかを聖書、日本歴史から要点を見つけて考えてみます。 エバ国の根は元を辿ればエデンの園のエバですが、倭国から日本へと変わった時がエバ国のスタートの時だと思います。その日本(エバ国)建国の父と言っていい人物がいますので紹介します その人物が藤原不比等(ふじわら、ふひと、659~720没)です 藤原不比等は奈良時代、天武天皇、持統天皇、文武天皇、元明天皇、元正天皇に仕えながら藤原一族を朝廷内で支配者的な位置を確立し万世一系、天皇家を中心にエバ国、日本の骨格を作った人です。 藤原不比等が深く関わったと思われることがら 1、倭から日本 倭から国名を日本…
訓読 >>> 514わが背子(せこ)が着せる衣(ころも)の針目(はりめ)落ちず入りにけらしもわが情(こころ)さへ 515ひとり寝(ね)て絶えにし紐(ひも)をゆゆしみとせむすべ知らに音(ね)のみしそ泣く 516わが持てる三(み)つあひに縒(よ)れる糸もちて付(つ)けてましもの今そ悔(くや)しき 要旨 >>> 〈514〉あなたに縫ってさしあげる着物の針目は、すっかり仕上がりました、糸といっしょに私の心も縫い込んで。 〈515〉独り寝をしていたら紐が切れて、縁起でもないと、どうしていいか分からず声を出して泣いている。 〈516〉私が持っているこの丈夫な三つ搓(よ)りの糸で付けてあげればよかったと、今…
時空戦お疲れ様でした。 初日から紫が圧倒的にリードを広げていた上にしかも初日から大本営をあっさり落とされてしまう。2日目も連合で動けるほど人が集まらず紫圧勝で終了。防衛ポイントもロクに稼げないまましかも初日から即行で落とされてしまうと他連合員達のモチベーションもただ下がり(しかもこちらがレポートでは勝利判定でも敵の兵損失が終始0という不可解な結果も多かった) 紫が強かったのは言わずもがな、とにかくアクティブで好戦的な人が勢揃い。うちの連合員は夜行性な方が多いのでその点が大きな弱点。かくいう私も今回も大して動くことが出来ないまま終わってしまった。そのせいで活発に動いておられた連合員の方達には大き…
●歌は、「暁の夢に見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ」である。 愛知県幡豆郡吉良町 幡頭神社下駐車場万葉歌碑(藤原宇合) ●歌碑は、愛知県幡豆郡吉良町 幡頭神社下駐車場にある。 ●歌をみてみよう。 ◆暁之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 敷弖志所念 (藤原宇合 巻九 一七二九) ≪書き下し≫暁(あかとき)の夢(いめ)に見えつつ梶島(かじしま)の磯越す波のしきてし思ほゆ (訳)明け方の夢にたびたびあの子が見えて、梶島の磯を越す波の次から次へとしきるように、ただしきりに思われてならない。(同上) (注)梶島:所在未詳 (注)第三、四句「梶嶋乃 石超浪乃」は「敷弖」を起こす。 (注)しく【頻く】自動…
古都奈良というけれど中でもここ飛鳥は、正真正銘のNO.1古都 日本の歴史はこの地から始まる 飛鳥寺 物部守屋を倒したとはいえまだ仏教が日本に受け入れられたとは言えない時期に 蘇我馬子は先走るんですね〜壮大な伽藍を要する飛鳥寺を建てた。 本堂にある飛鳥大仏は日本最古の仏像であります 顔が少し右を向いているのは、聖徳太子の生まれた橘寺の方角を見ている 大仏は左から見ると険しいお顔をしており 右から見ると優しいお顔をしていると言われている。言われなければわからない 言われてもよくわからない 歴史はいつの世も勝者によって作られる。ここらへんで蹴鞠をしていた 中大兄皇子とどこから来たんかわからん藤原鎌足…
こんにちは Limiです 5時間✨5000円以内でリフレッシュする『プチRe』 今回は、GW特別編ということで、プチReのルールではありませんが、少し足を伸ばして、鹿島神宮に行ってきました なぜ、鹿島神宮かと言えば、海に浮かぶ鳥居の写真を見てから、一度行ってみたいなと思っていたのがきっかけなのですが、調べてみると、その歴史は古く、創建は紀元前660年前「古事記」や「日本書紀」の時代にまで遡ります。 また、香取神宮(千葉)・鹿島神宮(茨城)・息栖神社(茨城県神栖市は東国三社と言われ、関東随一のパワースポットということなので、これは一度は訪れすべし!と思い立ち、お参りに出かけることにしました。 【…
あけるです。 昨夜わかったのは いつも企画開催してるとこの場所が何か悪いみたいで地域の方からはあまり好かれてない様子というのが昨日は地元の町内の施設で開催したから露骨にわかって、そういえばそのいつもの施設で神社みたいなものあったけど参拝してなかったな。 浄化をできる素養を知ったのも最近のことだから 次回のときは朝向かったときにしておこうと思う。 香取神社が藤原氏ゆかりとは知らなくて 藤原氏は辿ると 藤原鎌足あたりからの時代は藤原氏が天皇家と繋がりがある。 父方は永田姓で宇多源氏に近い。 キーになる時代の天皇の配偶者はみんな藤原氏 母方は伊藤 藤原氏縁の名字 因縁解かないとだめなパターンぽい。 …
坂東33カ所観音巡り 30番の平野山 高蔵寺 (高倉観音)の境内に 鎌足桜 祖木 が有ります 木更津市指定文化財 「鎌足桜」 祖株 平成17年2月25日指定 ↑ 詳しくは HPのPDFを この文章の 八重咲の山桜で、 雌しべもしくは花弁の一部が細く屈曲して鎌型になる これかな??? 確かに鎌みたいだが そして これも咲く??! こんな風に 咲き始め 咲いたハナビラの先端に 緑が残っている? ということなのかなあ~~??? ふう~~~ん 咲き方が足らない! とクレームを受けて あとから足したのかな 鎌足桜 というより 補足桜 かな??? っと いやいや 鎌です!! 鎌足桜です! そして 保存会の…
百人一首No.22. 文屋康秀(ふんやのやすひで):吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ 秋の山を吹き降りる風、その風が吹くやいなや草も木も枯れてしまう。ああなるほど、だから山の風を嵐というんだなあ。 N君:「からに」は複合の接続助詞で「~するとすぐに」の意だそうです。「むべ」はちょっと昔の言い方で「むべなるかな」というのを聞いたことがあり「なるほどそうだろうね」の意であることを知っていました。 As soon as a chilly gust blows down from the mountains, autumn plants wither away. Now I se…
高校で日本史の教鞭をとる筆者が、高校の日本史の教科書に載っている事項について、単なる歴史上の出来事として年号やイベントを覚えるのではなく、その歴史的な意義が何であったのかを紐解くものとして、何故そのようなことになったのか、周辺で何が起きていたのか、諸外国との関係性も踏まえて解説し、単なる受験科目としてではなく、一個人の関心事として日本史を好きになって欲しと願う。 やりなおし高校日本史 (ちくま新書) [ 野澤 道生 ]価格:1034円(税込、送料無料) (2022/4/21時点)楽天で購入 1時間目は、ヤマト政権の時代における、隋や朝鮮半島との関係において、厩戸皇子が隋に対等関係を宣言してを怒…
渡来人の元で唐の文化について学ぶ 今回の主人公は藤原氏繁栄の礎を築いた藤原不比等。彼は単に藤原氏の地位を固めただけでなく、古代日本のグランドデザインをも作り上げた人物であるという。 藤原不比等は乙巳の変で中大兄皇子と共に蘇我入鹿を討った中臣鎌足(後に藤原鎌足)の次男として659年に生まれた。鎌足は不比等を柏原一帯を本拠とする田辺史(たなべのふひと)一族に与えてその教育を託す。田辺史一族は百済から渡来した一族で、卓越した行政能力で朝廷に仕えていた。不比等はそこで徹底した唐などの学問を身につける。ちなみに不比等の名はこの田辺史から取っているのだという。 (adsbygoogle = window.…
昨日は攻城団テレビで榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」についての番組をライブ配信しました。リアルアイムでご覧くださったみなさん、ありがとうございました。アーカイブで視聴できますのでタイミングがあわなかった方もぜひご覧ください。(カメラの設定の問題か、ちょっと画面が暗くてすみません) youtu.be 300ページをこえているので読み応え抜群の一冊です。分厚いけれど、ひとりひとりの紹介はそんなに長くないので(だいたい2〜4ページほど)通勤中や就寝前などのちょっとした時間に読み進めやすいと思います。 この本は古代から江戸時代まで、その時々の権力者を支えたナンバー2をまるっと紹介した内容になって…