中臣鎌子連、中臣鎌足とも、字は仲郎、大和国高市郡人なり。 先祖を天児屋根命とす中臣氏の胤で、父は美気祐卿、母は大件夫人。
天智天皇八年冬十月の丙午朔庚申、藤原氏に改す。
その事蹟について、藤原仲麿撰の藤原家伝(大織冠伝とも)があります。
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。三省堂提供「大辞林 第二版」より
(614-669) 七世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。不比等の父。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。藤原氏の祖。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
大阪府茨木市と高槻市の境の #阿武山。1930年代、京都大学地震観測所近くの小山で古墳石室が発見されました。約50年後、事態が進展。被葬者が #藤原鎌足 公であると強く推定される物証が集まりました。この時の経緯を含め過去記事を一本の動画にまとめました 目次 youtube動画 動画の説明 参考資料(過去記事) 本文 youtube動画 https://youtu.be/7pT6YXHY_xo youtu.be 動画の説明 大阪府高槻市と茨木市の市境の阿武山(あぶやま) 茨木市を流れる安威川(あいかわ)は阿武山から流れてきます。 1930年代、京都大学・阿武山地震観測所の初代所長、志田博士が地震…
大阪府高槻市の #阿武山古墳(茨木市との境)の墓室から遺体とともに出土した #大織物(だいしょっかん)のCG復元に関連するワクワクする新研究が発表されました(帝塚山大学、牟田口章人客員教授) 目次 【新研究】大織冠のCG復元 阿武山古墳が鎌足公の墓である可能性が高まるヒ素の話 本文 【新研究】大織冠のCG復元 topics.smt.docomo.ne.jp 冒頭リンク先記事にある通り、大織冠とは最高冠位をあらわし、日本の歴史上、藤原鎌足公にしか贈呈されていないとされる貴重なものです。 日本書紀には「鎌足公は死の前日に天智天皇から藤原の姓と大織冠を贈られた」と書かれています。 鎌足公の没年の西暦…
日本を変えた政治改革者と藤原氏の繁栄の礎 皆さん、こんにちは! 今回は藤原鎌足に関する雑学をご紹介します! 日本の歴史において、藤原鎌足という名は、飛鳥時代から始まる政治改革と藤原氏の繁栄に密接に結びついています。 藤原氏の始祖であり、日本の律令制度の基礎を築いた彼の業績は、単に一族の成功に留まらず、国家全体の運命を変える大きな転機となりました。 この記事では、藤原鎌足の生涯と彼の果たした偉大な功績、そして彼を巡る伝説や逸話を掘り下げ、その影響力について探っていきます。 藤原鎌足の生涯と背景 藤原鎌足は、飛鳥時代に活躍した政治家であり、藤原氏の始祖として日本史上非常に重要な存在です。 614年…
阿武山古墳が #藤原鎌足 公の墓と考える理由と #多武峰略記 の記述に反して改葬されなかった理由についても考察 #偽装作戦 から自身が亡き後も国を守ろうとした人物像が浮かび上がります #藤原氏とは #記紀解読 目次 阿武山からの眺望 鎌足公が葬られるべき所。阿武山 藤原氏(中臣氏)とは? 本文 www.zero-position.com 阿武山からの眺望 先日、阿武山古墳のすぐ近く、山腹の地震防災サイエンスミュージアム(旧京大地阿武山震観測所)の施設見学に参加して来ました。 阿武山地震防災サイエンスミュージアム(旧京大阿武山地震観測所) 目印となる高い観測棟は、阿武山古墳からも見えます。 阿武…
摂津国島下郡であった現在の #大阪府茨木市 には #春日神 を祀る神社が多く、その始まりは #藤原鎌足 公であり、平安時代には #摂関家 の領地でした。鎌足公の墓から出土した #水紋様の古代レンガ を考察 #中臣氏 #海人族 #阿武山古墳 目次 摂津国 島下郡 鎌足公の墓(阿武山古墳)が水紋の古代レンガで覆われていた理由 本文 摂津国 島下郡 大宝律令(701年、大宝元年)で定められた摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり)は、現在の茨木市、摂津市、吹田市。 摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり) 平安時代の延喜式神名帳に、島下郡の十八座が式内社として記載されており、うち現在の茨木市…
前回の #阿武山古墳 の続き。古墳の埋葬者が #藤原鎌足 公説を強く支持するお話を二つ。埋葬者のレントゲン写真からわかる致命的な骨折痕。鎌足公を通じて繋がる #阿武山 と #東奈良遺跡 #三島別業 目次 ざっくり藤原(中臣)鎌足公 理由① 阿武山古墳人骨の致命的な骨折痕 理由② 神奈備の阿武山に埋葬される深い意味 本文 www.zero-position.com ざっくり藤原(中臣)鎌足公 藤原鎌足公は、第35代皇極天皇(飛鳥)、第36代孝徳天皇(難波宮)、第37代斉明天皇(飛鳥、皇極の重祚)、第38代天智天皇(近江)の時代に活躍した人で、 ・皇極時代、中臣を称していた鎌足公は、中大兄皇子(後…
古代 #ミシマのクニ の 神奈備として崇められた #阿武山(あぶやま)。山中に飛鳥時代の #阿武山古墳。戦前、京大地震観測所建設時に発見されました。漆塗りの棺の60歳前後の貴人は金糸の冠(#大織冠?)を被り美しい#玉枕 に眠っていました #藤原鎌足 目次 阿武山 阿武山古墳(高槻市奈佐原) 本文 阿武山 山稜の東西で、大阪府の高槻市と茨木市を分ける阿武山(あぶやま) スガタカタチのよい三笠型で、西側を安威川(あいがわ、茨木市)が流れ下ってきます。 安威川(あいがわ)と阿武山(あぶやま) 弥生時代の「ミシマのクニ」の神奈備山で、古い信仰の対象になっていたと伝えられます。 阿武山の中腹に塔のような…
おはようございます。くましね薫です。 太陽神考察の5回目です。 kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com kumashine369.hatenablog.com 前回は、なぜ藤原氏は太陽神を女性神に変えたかを考察しました。 kumashine369.hatenablog.com 藤原氏の祖である藤原(中臣)鎌足は、大陸からやってきた渡来人で、中臣家に婿入りします。 唐の政治を目の当たりにしてきた鎌足は、女性祭祀王が統治する古代の日本の政治に危機感を抱いてました。 そのため乙巳の変を起こして蘇我氏を滅ぼし、大化の改新によって日…
我れはもや安見児得たり 皆人の得かてにすとふ 安見児得たり 藤原鎌足 (萬葉集 巻第二 95) この歌は内大臣藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が采女安見児を妻にしたときに詠んだ一首です。 藤原鎌足ははじめ中臣鎌子(なかとみのかまこ)といって、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を討ち取り大化の改新(乙巳の変)を行った功労者です。 その功績などが認められ天智天皇(中大兄皇子)から采女安見児(うねめやすみこ)を妻とすることが許されました。 采女安見児はだれもが羨む女性ということですが、その安見児を天智天皇より与えられた喜びが非常によく表れてる歌ですね。 (安見児のことは詳しくは分かっていませんが、采女は天皇に…
以前は墳活してブログへ画像UPしつつ備忘というのがルーティンでしたが、最近は動画編集してUPが主体になっています。そうすると当たり前なんですが時間がかかります。また、編集する際に解説パワポシートを作る必要があります。 結構面倒です(笑)。 今回の動画はほぼ1年前に訪問した際のもので、ようやく整理ができて公開する運びとなりました。年は越せないなと思っていたので何とかできました。 藤原鎌足の墓と言われる阿武山古墳です。 これがなかなか、当時の状況を踏まえて仕方ないと思える反面、残念な出来事なんですねぇ。 藤ノ木古墳なみの発見だと思うのですが、今現在は埋め戻されてしまって、手がかりは残された写真デー…