日本の江戸時代に熊本藩にあった藩校。第8代藩主の細川重賢が宝暦5年(1755年)に設立した文武両道の藩校だった。
【これは、かつて『Cats』誌への投稿を予定して書いたものです】 かつてCats誌の1991年3月号で、皆川澄子さんに『ねこ』の語源についての私の考えを紹介していただいた事があります。 気がつけば、それからはや四半世紀近くの長い歳月が流れてしまいました。その間、いつかはきちんとした形で私の考えをまとめておきたいと思い、実際に一度は書き上げたのですが、内容にいまひとつ不満な部分があったりして、書き直した上で発表をと思っているうちに、こんなに時間がたってしまいました。 この間にも、たくさんの人が『ねこ』の語源について記述しています。けれども残念なことに私の目に触れた限り、そのどれもが従来の語源説の…
ぶうといって汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤(もつと)もこの熱さ(ママ)では着物はきられまい。(中略)磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧は茫(ぼん)やりして、知らんがの、といった。気の利(き)かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。(二) この部分から、坊っちゃんは二学期の初めに着任したということがわかります。 「四国辺の中学校」のモデルとなったのは、言うまでもなく松山中学校です。ただし、それは明治三十八年と仮定した場合の名称で、漱石が在任した…