下級藩士から明治維新で台頭した山県有朋 総理を2度も務めて亡くなった時には国葬までなされたが、参列者は軍関係者ばかりでわずかに1000人ほどだったという明治の元勲の山県有朋。あまりのしょぼさに顰蹙を買ったらしいが、山県の不人気ぶりが際立ったという。しかし山県は本当に悪役だったのかについて迫る・・・とのことですが、実際に山県は悪党です(私の見解)。と言ってしまっては身も蓋もないので番組の内容を。 山県有朋は萩城下で長州藩士で下級役人の家に生まれる。少年時代は学問や武術に励んだという。しかし下級武士なので要職につける可能性はなかった。しかし動乱の時代が彼にチャンスを与える。京都派遣のメンバーに選ば…