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蘭学

(一般)
らんがく

江戸時代に貿易都市長崎から広まった学問のひとつ。江戸時代に公に学習を許された西洋語は、年代による消長はありますが、オランダ語だけでしたので、西洋や世界の情報、学術文化を知るためには、輸入されたオランダ語の書物(舶載蘭書といいます)やオランダ船のもたらした様々な文物、長崎出島に駐在していた12、3人ほどのオランダ人(他国人もいました)を介して学ぶしかありませんでした。出島で働いていたオランダ語通訳官(阿蘭陀通詞といいます)の集団がそうした学問の開拓者を輩出しましたが、彼らは通詞仲間という世襲制の職業集団を形成していましたので、学派を名乗ることはありませんでした。1770年代に漢学(儒学)、国学(和学)に対抗して「蘭学」という学問を唱え、学派を名乗ったのは、長崎に留学して阿蘭陀通詞からオランダ語、医学知識などを学んだ江戸の医師たちでした。杉田玄白の回想録『蘭学事始』(1815年成)はその医師集団の後世へのマニフェストですが、長崎の阿蘭陀通詞に対する偏見に満ちております。当時、通詞は知識人たちから「舌人」(ぜつじん)などと軽蔑されていました。明治2年(1869)に福沢諭吉らの啓蒙思想家たち(多くは旧幕府に仕えた学者)は『蘭学事始』を刊行し、「洋学」の必要性を明治社会に訴え続けました。また、新政府に対抗した奥羽列藩同盟の盟主仙台藩に仕えた大槻家(幕府に抱えられた蘭学者大槻玄沢の子孫)は家学(世襲的な学問)である蘭学の正統性を訴える立場から、洋学史研究を推進しました。こうした流れを受け、教科書や世間一般では、これまで蘭学といえば江戸中心に語られる傾向が強くありました。現代では、江戸蘭学のみならず長崎蘭学、地方蘭学(京、大坂、尾張など)を連環させ、近世における世界的な知識交流史の一環として蘭学を見直す時期に来ています。

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