「もう我慢ができぬ」 男はそうつぶやいて立ち上がると、やにわにその顔を藍染の頬被りで隠し、家人や女中らに気付かれぬよう、ひそかに屋敷を抜け出た。 夏。うだるような暑さの夜。 伸びきった庭草が、周囲を蒸し殺さんばかりに青臭いニオイを辺りに放っている。 阿波蜂須賀25万7千石。徳島城下。 すでにくるりと裾をまくり上げ、尻からげになってしまっている男の行き先は、決まっていた。 男は、賑やかな鉦や三味線の音がひびく城下の町人町へ向け、静かに駆け出すと、やがて行く手に灯(ほ)明かりを見た。 一団の男女が、楽しげに踊り歩いている。 男は足早に進み、これに近づくと、 「御免」 と、踊りの列に加わった。 怪し…