1859年〜1916年
清末〜中華民国初期の将軍・政治家。中華民国大総統。辛亥革命をフランス革命とするならば、ナポレオンにあたる存在(やや誇張)。
科挙に失敗して軍人になるが、朝鮮半島での働きを李鴻章に認められる。日清戦争敗北後の清軍再編にあたって重きをなし、洋式装備の精鋭部隊(のちの北洋軍)を組織する。
義和団事件の後に李鴻章が没すると、後を襲い直隷総督兼北洋大臣となる。以後、西太后に接近して権勢を拡大。1908年の西太后の死去によって一時没落する。
が、1911年に辛亥革命が始まると中央より呼び戻されて政権に復帰、清朝と民国臨時政府の間で巧妙な政治的綱渡りを行い、中華民国臨時大総統になりおおせる。
その後、孫文らとの闘争に勝利して正式に大総統に就任して独裁を強化する。
1915年には国号を中華帝国と改め皇帝になろうとしたが、これには失敗。まもなく病死している。