近世初期以降、封建的身分制で最下層に位置づけられた人々を中心に形成され、現在もさまざまな差別を受けている地域のこと。明治4年(1871)の解放令によって法的差別は解消されたが、社会的差別や偏見、それに伴う人権侵害は解消されてはいない。未解放部落。 「部落」という言葉自体は単に「集落」の意味だが、近現代に「部落」の語が行政に正式名称として用いられるに伴い、行政的「部落」と混同されないよう部落民自ら「特殊部落民」と称するようになった。
「サンカ」と聞くと、「漂白民」という言葉の通り、山中を移動しながら生活していた人々というイメージがあります。 しかし、実際には定住していたサンカも存在していました。その一例が筒井功さんの著書『漂白民の居場所』に記されています。 漂泊民の居場所 作者:筒井 功 河出書房新社 Amazon 栃木県の日光市、塩谷町、那須塩原市、矢板市にまたがる高原(たかはら)山。 この山のふもとに、昭和初期、二組のサンカが定住していました。彼らはこの場所を「仏沢」と呼んでいたそうです。 高原火山群の地質 その頃、そこには二つの小屋がありました。一つは茅葺き屋根を地面に直接置いた6畳ほどの小屋、もう一つは「ワラホウデ…
最近YouTubeの動画で、とある被差別部落のことを見た。 おおお!この名前は、大学時代の知り合いの実家の住所じゃいうことでビックリした。 知り合いの名前は、この実家の住所が由来であることは見え見えなんよね。 かなり陽気な子だったんじゃけど、なんだよこの子住所と同じ名前じゃないかってみんなで笑い飛ばしたことがあった。 革製品の加工やら動物の解体とかで、河原者いう人たちの住んだ所なんよね。 私の買うた古民家の自治会が、自治会費を3倍払わせるのを強制することを、昨年警察を介入させて撃退したことがあった。 その周辺がそうした被差別部落いうことがその後わかり、近所の町内会の人たちがよくそんなとこ相手に…
エタ非人についての動画を見た。 被差別部落の問題のもとになった身分差別を江戸幕府が作ったが、差別を強めるか弱めるかは、各藩主によって判断が分かれていたらしい。非人は、生まれ持った身分ではなく、もともと農民だった人物が犯罪に手を染め奴隷階級に転落してしまったものであるとのこと。善い行いをしたと役人から認められた者は非人の身分から回復することができたとのこと。だがエタはそうはいかず、どんなことをしても一生エタのままで生涯を閉じねばならなかった。エタの命は農民の7分の1と言われて非常に軽んじられていた。エタが農民によって一人殺害されるだけでは農民は裁かれることはなかったのだ。江戸時代に真理衛門という…
被差別部落の青春 (講談社文庫) 作者:角岡伸彦 講談社 Amazon かつて東北では集落のことを普通に「部落」と呼んでいたのだが、最近、地方紙や自治体の広報誌などで一向にその表記を見ないことに気がついた。ひょっとしてと、ネットで調べてみたらやはりそうだった。 平成4年(1992年)、山形県でべにばな国体が開催された際、地元自治体から被差別部落と混同されないように配慮が必要だという声が上がり、「地区」や「集落」といった表記への言い換えが進んだらしい。東北ではそれ以前にも何回か国体が開催されていたことからすると、主に西日本で広まっていた認識が東北まで及んだのがちょうどその頃だったということかもし…
ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』、京都みなみ会館で鑑賞してきました。この作品はAmazonプライムでは視聴できないだろう、と思ったので。 buraku-hanashi.jp いま部落をドキュメンタリー映画にする。相当なパワーが必要な仕事。長時間のドキュメンタリー映画に仕上げたことに脱帽です。 映画では、モザイク無し。それが良かった。 日本共産党、部落解放同盟が部落問題にどんな姿勢で臨み、意見がわかれて対立したのか。「部落地名総覧」の復刻出版をめぐって、部落解放同盟から提訴された側の当事者が、実名顔だしでこの映画の取材に応じていたことは、驚きであり、映画監督の誠実さを感じることが…