1995年1月17日。 当時私は大学4年生でした。 1人暮らしの1Rマンションで、卒論に追われる日々を過ごしていました。 ぐっすりと眠っていた早朝。 ベッドの上で、ものすごい衝撃を感じました。 これは何だ? 1階の端だった部屋の壁が、大きく波打っているのが見えました。 布団の中から全く動くことができないほどの、激しい衝撃がしばらく続きました。 震度7。 地震は縦揺れ・横揺れがあると言いますが震度7にもなると、ただただ激しい衝撃しかありません。 何かわからない衝撃が収まり、部屋の状況を確認するために電気をつけようとしましたが、電気はつきません。 ガス(都市ガス)も止まり水道も出ません。 家にあっ…
「地震―それは、突然大地の底からおそいかかり、一挙に下のほうから心臓をつかむ冷たい恐怖であり、一瞬にして人々の理性も思考力も麻痺させてしまう。恐怖の衝撃が、ただやみくもで盲滅法な反射だけをひき起こし、この瞬間、誰一人として冷静でいられない。―そして、この全部の人々が、一斉に理性を失う数秒間の間に、多くの決定的なことが起こり、災厄は増幅されるコースにのり入れてしまうのだ。」(小松左京『日本沈没』) *** トルコとシリアに1,000円寄付してきた。あまりにも微力である。So what?
2022-10-26 昭和の三大台風のひとつ、伊勢湾台風。 1959年(昭和34年)9月26日、和歌山県潮岬(しおのみさき)に上陸した台風15号。 死者、行方不明者合わせて5098人。 私が幼い頃、母から、よく、伊勢湾台風の思い出話を聞かされていました。 母は、当時小学校6年生、12歳でしたが、 75歳になった今も、伊勢湾台風の記憶は、鮮明に覚えているそうです。 あっという間に水かさが増えたこと。 人の叫び声。 水に浸かった時の冷たさ。 水に浮かんだ履き物。 ゴーゴーと呻る(うなる)、風と水の音。 母が暮らしていた地域は、母曰く、伊勢湾台風で、被害が大きかった地域のひとつだったそうです・・・。…
熊本地震の教訓(2024年4月14日『中国新聞』-「天風録」) 雄大な外輪山の一角が大きく崩れた跡が生々しい。阿蘇の景観に溶け込むような、熊本地震震災ミュージアムを訪ねた。昨年開館し、約千人が在籍した旧東海大阿蘇キャンパス一帯の地下に眠っていた活断層の脅威を伝える ▲きょう最初の揺れから8年。復興が進み、落ち着いて爪痕を学ぶ時期になったのだろう。崩落した阿蘇大橋の鉄骨や土砂でつぶれた車。そして地震をもたらした「布田川断層帯」の剝ぎ取り標本の前でくぎ付けになる ▲以前から熊本で知られた活断層。ただ、この地震で地表に出現するまで、阿蘇に延びていると誰も知らなかった。地層を調査した結果、過去1万年の…
新海誠監督史上もっとも好みだが、ひと言も添えたい 声=デッドレター 直線的死生観に染まっているという無自覚さの自覚を 映画そのものの正当な解釈といえるか、といえばこれはかなりあやしいが、しかしそれなりにユニークなことは見いだせた気もするので、以下にまとめてみた。ご一読していただけたらさいわい。 新海誠監督史上もっとも好みだが、ひと言も添えたい もつれをほぐし循環を取り戻すメインストーリーや、アクションの美しさに感情は揺さぶられたが、一部の評論にみられた直線的死生観による解釈は、現に理不尽な災害で何かを失い苦しむ人々を置き去りにする生者の為の定型なのであり、この映画がそのように解釈されうるという…
(2024年4月5日『秋田魁新報』-「北斗星」) 東日本大震災の翌2012年、田沢湖と台湾の澄清湖(ちょうせいこ)が姉妹湖提携を結んでいる縁で仙北市民らが訪台した。高校生同士の交流会では、冒頭で台北市の生徒が日台の友好関係について説明。1999年の台湾中部大地震で日本から救助隊が派遣されたことに感謝し、東日本大震災では台湾も救助隊を送ったほか、義援金を寄せたことを紹介した ▼これが双方の高校生たちの距離を一気に縮めたのかもしれない。メールアドレスを交換するなど、和気あいあいと過ごした姿が印象に残っている ▼日台はその後も絆を強め、災害時には互いに「恩返し」をする間柄だ。2018年の台湾の地震で…
つなぐ:西日本豪雨被災地から 訪問看護師・片岡奈津子さん 行政 「やっと元の睡眠時間を取り戻せるようになりました」―。2018年の西日本豪雨の水害で甚大な被害を受けた倉敷市真備町地区の片岡奈津子さん(48)が言う ▼運営する訪問看護ステーションと自宅が全壊したが、すぐに事業を再開して在宅避難者を支援し、被災体験や防災を語り合う場づくりなどにも取り組んできた。地区外での「みなし仮設」住宅の生活を経て2年前に自宅を再建した ▼被災から続いた慌ただしい日々。水が来る夢を見たり、突然目が覚めたりする。相次ぐ各地の水害や地震被害にも心がざわつき、映像を見るとしんどくなる。2、3時間しか眠れなかったりした…
一条真也です。3月20日は「春分の日」。この日、ブログ『上級グリーフケア士が一条本を読む』で紹介した金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人からLINEが届きました。ブログ「星の旅人たち」で紹介したグリーフケア映画を読んで、実際に鑑賞したそうで、その感想が長文で綴られていました。「告白とは人と人を結びつける魂」との視点が秀逸でした。 「北國新聞」2024年3月20日朝刊 わたしが「素晴らしい感想です!」と大谷総支配人に返信すると、彼から「素晴らしい映画を教えていただき、ありがとうございます! それと私事ですが、震災を経験した大谷家にも良いことがありました」というLINEメッセージとともに今朝の「北國新聞」…
一条真也です。わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。このたび、久々に新しいブックレットが完成。ただし、わたしは著者ではなく監修者です。 『上級グリーフケア士が 一条本を読む』 今回の新しいブックレットのタイトルは、『上級グリーフケア士が 一条本を読む』です。 金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人が20冊の「一条本」を読んだレビューが収められています。大谷総支配人は日本初の上級グリーフケア士の1人ですが、大変な読書…
この記事では、東日本大震災のノンフィクション作品を紹介していきます。 東北モノローグ ナインデイズ ふくしま原発作業員日誌 共に、前へ 東北モノローグ 東日本大震災から13年が経とうとする2024年2月に刊行された本。岩手、宮城、福島の被災三県を中心に、著者のいとうせいこうさんが計17人の人のもとを訪ねて聞き取った、被災体験やそれからの暮らし、想いなどの"語り"を収録しています。 インタビュアーであるいとうさんの問いかけや相槌は一切消され、語り手の独白(モノローグ)という形にまとめられています。 10年以上の時間が経ったけれど、震災と地続きになった今を生きている人たちの言葉にはハッとさせられる…
327人が屋上などに避難し無事救助された高野会館=2月26日、宮城県南三陸町(橋本愛撮影) 東日本大震災で大きな被害があった宮城県南三陸町で327人の命を救った建物がある。震災遺構になった「高野会館」。保存を巡って生まれた東西のつながりが、全国の被災地を結び教訓を語り継ぐネットワークとなった。東北、阪神、能登、そして将来へ。記憶は受け継がれる。 「3階の窓から津波が来たのが見えて、これはだめだと。水が引くと下の階から引き上げたペットボトルを潮水で洗って、みんなで蓋2、3杯分を分け合ったんです」 南三陸ホテル観洋で2月26日、高野会館の記憶を語り継ぐ「3・11の集い」が開かれた。海から200メー…
一晩にして約10万人が亡くなった東京大空襲から10日で79年。当時、小学6年生だった元中学校教諭の岡崎吉作(よしなり)さん(91)=東京都台東区=は焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ浅草の街を、家族と懸命に逃げた。「恐ろしい時代があった」。九死に一生を得た体験を語り続けている。(井上真典) 数日前に降った雪が道端に残る寒い日だった。1945年3月9日午後11時過ぎ、空襲警報が鳴り響き、母親に手をひかれて家の外に出た。米軍のB29爆撃機が低空飛行し、焼夷弾を雨のように落としていた。 両親ときょうだい2人の家族5人で、当時通っていた千束国民学校(現台東区立千束小学校)に避難した。講堂にいたら、ピアノがく…
東日本大震災からまもなく13年となります。当時6歳の娘を亡くした母親は、葛藤もある中で語り部の活動を続けています。つらい記憶と向き合い、伝え続ける理由。そこには母親としての強い覚悟がありました。 佐藤美香さん:「生きていたら、今年20歳になるので、振り袖だったりとか、成人式の前撮りだとか、今年いろいろやっていたんだろうなとか」 石巻市に住む佐藤美香さんです。東日本大震災で長女・愛梨さんを亡くしました。 当時6歳、楽しみにしていた幼稚園の卒園式を迎えることはできませんでした。 佐藤美香さん:「私は『式』っていうのを重ねてあげさせたかった。うちの子は入園式で、次はお葬式だった。卒園式すらもこの子は…
2024 年2月22日(木) 今日も、被災地を覚えて頂ければ幸いです。 石川県の大地震 心からお見舞い申し上げます。 21日、石川県能登地方では地震が3回、能登半島沖1回。 21日は、岩手や東京、その他地域でも地震が多かったです。 能登地震の義援金は、赤十字・石川県・富山県 新潟県 が口座を開設。 振込先は、happy-ok3の日記に載せています。 。 義援金詐欺も起きていますので、ご注意を。 2月22日、お誕生日おめでとうございます! しあわせな一年に! 今日がお誕生日の方も、お誕生日ではない方も、 素敵な1日に! happy-ok3の日記 happy-ok3.com happy-ok3の日…
一条真也です。16日の早朝、松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。わが社は「礼の社」を目指していますので、何よりも儀式を重んじます。「こころ」も「かたち」も大切! 月次祭のようす マスクなしでの神事 玉串奉奠をしました 心をこめて拝礼しました 皇産霊神社の瀬津禰宜によって神事が執り行われました。サンレーグループを代表して、わたしが玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに能登半島地震の被災者の方々の日常が早く戻ることを祈念しました。 東専務に合わせて柏手を打つ 神事の最後は一同礼! この日は、わたしに続いて東専務が玉串奉奠をしました。東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼…
横浜開港資料館にて「関東大震災100年大震災を生き抜いて~横浜市民の被災体験~」特別展見学。 1923年(大正12年)9月1日発生した関東大震災から、2023年で、100年を迎えます。横浜では、35000棟を超える家屋が倒壊・消失し、26000人を超える死者・行方不明者が出たが、この大災害を生き抜いた人びとのなかには、のちに横浜での震災体験を手記として残した人がいる。イギリス系貿易商社ドッドウェル商会で日本総支配人を務めていたアメリカ人オーティス・マンチェスター・プールもその一人である。 大自然の猛威には、完全には防げないが「備えあれば憂いなし」被害を最小限に出来、復興を早めることが出来る。 …
災害に関する手話を学ぶ参加者 耳が聞こえない人とのコミュニケーションを考える座談会が4日、石巻市中央2丁目の交流・創作活動拠点「いしのまき MANGA lab.ヒトコマ」であった。ろう者や手話学習者ら約15人が参加し、聴覚障害者が抱える日常での困難や東日本大震災時の経験を話し合った。 ろう者の同市末広町のパート従業員大田原千緒理(ちおり)さん(61)が司会を務めた。大田原さんはろう者とのコミュニケーションについて「怒っている、危険が迫っているなど表情をはっきり付けると伝わりやすい」とアドバイス。医療機関などコミュニケーションに補助が必要な場で通訳者の同席が認められないなど、ろう者が日常で直面す…
災害映像 共感疲労に注意 専門家「離れる時間持って」 能登半島地震以降、テレビやらSNSでは倒壊した家屋や火災で全焼した市街地の映像が連日流れている。自分の事として災害を捉え、精神的につらくなる「共感疲労」に陥る恐れもあるが、専門家は「映像から離れる時間を持ち、気持ちを切り替えることが必要」とアドバイスする。 災害時のメンタルケアに詳しい桜美林大の池田美樹准教授によると、共感疲労はショッキングな映像を見たり、つらい話を聞いたりして共感を覚え、心が疲れた状態をいう。「被災地は大変なのに普通の日常を送っていいのか」と自責の念に駆られ、後ろめたさを感じることもある。 他者への思いやりが強い人や、過去…