宝永1年11月19日。作事奉行河村丹左衛門手代9人は今まで町屋に住んでいたが、今度吟味役足軽の元屋敷を下される。この日、屋敷奉行が屋敷を渡す。禅寺町下にあり1人160坪ずつ。この昼から寄合切米80石5人扶持の53になる野々山平太夫は高岳院前西側半ほどの従兄弟相原助之右衛門のところに大黒頼母子の会のため玉虫元右衛門・山上伊之右衛門・岡八郎右衛門とともに集まった。岡・山上は夕暮れに帰る。玉虫と野々山は亥半(午後10時)に帰り、野々山は玉虫と別れて南へと行く。まもなく野々山僕が助右衛門のところへ戻り、旦那から袴を持って来いと申しつけられたと言った。すぐに袴を持って行くと駿河町光蓮寺前の南寄で平太夫が…